諦念としての「老い」

今日も過去の日記からインスピレーションを受けて書いてみました。

 

テーマは、「老い」についてです。

 

 

昨年四月の初旬に、僕は祖母を病院に見舞いました。 
70数年を生きてきた祖母は冬の終わりに足を腫らし、 
それが悪化したとのことで、一ヶ月ほど入院を余儀なくされていました。 
病状は深刻なものではなく、それも回復に向かっていたので、 
退院の一週間前ほどに家族で面会に参った次第です。 

丁度桜が満開から散り始める頃で、
僕は祖母を車椅子に押して病院の裏庭を散歩しました。 
旧陸軍病院なだけあって、見事なまでに雄々しい桜並木が丘に並んでいます。 
僕は歌で「桜」といえばコブクロでも福山雅治でもなく、 
「同期の桜」が思わず浮かんでくるので、60余年前に 
ここから桜を見た筈の兵隊さん達のことが脳裏を過ぎりました。 
病院で無念な死を迎えた方もいれば、ここを出て南洋の空に散った方もいるかもしれません。 
ここの桜を見たのが最後だった方も少なくないかもしれません。 
そういう余計な想像力を巡らしてしまうと、 
この僕と祖母が見た桜も感傷的な威力をもって迫ってきます。 


祖母も多分とても喜んでいたことでしょう、祖母もこの桜をきっと見たかった、 
いや、祖母は外に出たがっていたのです。外に出られたくても、 
出られないようにさせらていたからです。 

もしかしたら、桜を見るのは僕や家族と一緒じゃなくてもよかったかもしれない。 
隣の患者さんやナースやドクターでもよかったかもしれない。 
けれども、けれども、祖母はそういう「意志」をもはや明確に表すことが出来ないのです。 







この面会を経て、僕は一層、認知症という「病気」をとても憎く思いました。 
僕や、世間や、医学がそれを「病気」としてしか認識できなくなってしまうことが、憎いのです。 

祖母の足は大丈夫なのはよく分かりましたが、それよりよく分かったのは、 
数年来より進行していると聞いてきた「病状」のほうです。 
祖父からは以前より物忘れ、買い物依存、気分障害、妄想、徘徊等、 
祖母に現われた明らかな「異常行動」を聞かされてきました。 
最近は年に数度しか会わないので、そこまでひどいものか、と思っていましたが、 
面会をしてみると、何がどうあっても昔の面影はもうありません。 

確かに一応の簡単な会話はできるし、一緒に昔の童謡を歌ったりは出来ます。 
けれども、もはやその顔に表情がほとんど消え、能面さながらになりつつあるのに、 
僕は動揺を隠せませんでした。 
「おばあちゃん、僕が誰か分かる?」などと無邪気聞いてみる気にはとてもなりませんでした。 
(後日聞いてみると、一応ちゃんと分かっていた、とのこと) 

さらにショックだったのは、徘徊を阻止するために車椅子に付けられたベルトです。 
外に出られたくても出られないのはそのせいです。 
夜間ははさらに強く拘禁されているのでしょう。 
足の腫れがなかなか引かなかったのは多分そのせいかもしれません。 



帰り際に、無表情でこちらを見て手を振りながら 
その場でじっとしている祖母を見ていると、自然、目頭の辺りが熱くなりました… 


僕は結局、花見の相手しかしてあげられなかったのです。 
幼い頃あれだけ世話になった祖母に、今自分のどれほど記憶が残っているかどうか 
という利己的な不安にばかり囚われていました。 
そんなことを悩んだって今の祖母には何のためにもなりません。 
それを分かっていても、なお僕はまだ受け入れられなかったのです。 

祖母は退院後、自宅に戻ることはなく、そのまま専門のケア施設に入所しました。 
僕はまだ訪問していないのですが、そこで祖母は健康は保っているとのことです。 
しかしいずれは、人間の尊厳である排泄の問題もクリアでなくなるでしょう。 
あるいは、もう記憶も失われるだけ失われていくことでしょう。 
祖父も母もそして自分自身でさえも分からなくなることでしょう。 
この「病気」はとても深刻です。 
生きている限り、今の医学ではほとんど好転することはありません。。 









「健常な」僕はそれは「こわい」ことだと思ってしまいます。 
もし自分も老い先そうなったら、どうなってしまうのか。 

僕は小学校ぐらいの終わりまで父方の祖父と同居していましたが、 
晩年の数年の祖父はボケはしなかったものの、半寝たきり状態。 
そして嫁である母に辛く当たり、母は恐らくその影響を受けてノイローゼを発症しました。 
家庭内にはいつも重苦しい空気が漂っていたし、 
祖父は嫌いではなかったけれど、母を思うとあまり近寄れなかった。 
介護の方針を巡って家族や親戚で陰惨なやり取りも耳にしました。 

そんな中で物心をつけただけに、 
昔は自分も家族に迷惑をかけ、精神的負担・肉体的負担を強いてしまうのかと思うと、 
いっそのこと楢山節に出てくる姨捨山に自ら入りたくなると考えたくもなるし、 
あるいは毒杯を仰いでしまった方がマシではないかとも、考えていました。 




「人に迷惑をかけない限り自由に生きられる」 



という功利主義的な発想を裏返しに取ると、 
何も出来ない、人様に迷惑をかけて長生きするだけの醜い老いぼれは、 
経済的にも、社会的にも早く「死んで頂く」ほうが良いのでないか、 
という極論に達します。 

僕自身は自身の経験からこの議論をはっきり「間違っている」 
と否定しきれないので、苦しい。 
「人に迷惑をかけてまで長生きすることのメリットなんてあるのか?」 
と突き返されると、もっと苦しい。 


「老人を大切にする社会」というスローガン自体、 
このご時世ではむしろ反感を買ってしまうでしょう。 
世代間の格差はこれまで以上に拡大しています。 

長寿化という意味では文字通り、 
日本は恐らく最も「成熟」社会になりつつあります。 
その一方で社会は「成熟拒否」反応を示しているようにも思われます。 
長寿化、高齢化のスピードに、文明や文化が追い付いていないのかもしれません。 

いや、そんな大きな話ではないはず 

個人の中に蓄積される「老い」を考えるゆとりを喪ったのが現況なのではないか、と僕はひそかに思います。 

老いてゆくのは醜く、後ろめたく、陰惨なものになっている、下手したら「病気」扱い。 
だから「アンチエイジング」でケアの対象にしてしまう。 
赤瀬川源平が『老人力』書き、曽野綾子が『老いの才覚』を書いて啓蒙を試みても、 
老いるのはやはり忌み嫌われるでしょう。 

ゆっくりと老いることが出来る暮らし、老いることを愉しむ処世。 
肉体が磨耗していっても、精神を老練に老獪にする生き方。 
ボケるに任せ、己の耄碌を嘲笑い、来るべき死を前向きに覚悟して 
日常をつつがなく過ごすにはどうしたら良いのでしょうか。 
それもできるだけ人に迷惑をかけずに? 



僕もこの日記をここまで読んできた奇特な貴方も、 
いずれは恥かしいことまで人の厄介になるでしょう。 

来るべき時に、髪が抜け、歯が抜け、腹が突き出し、 
シミ・シワ・タルミで醜くなり、更年期障害で苦しんで、 
物忘れが酷くなり、排泄も困難になり、寝たきりになる、 
という余り喜ばしくない将来がやって来ます。 
たとえ健康であったとしても、何処かで人の手を煩わせることでしょう。 
愛する家族に疎まれ、同じ境遇の人間が集まる施設で、 
孤独な余生を過ごすという確率も低くないでしょう。 



では、そんな惨めな老いを悲観するべきでしょうか? 



僕は祖母を見舞った後に、深く実感しました。 

「迷惑をかけずに生きる」とか「自分らしく生きる」ということも、 
いずれは諦めないといけないときがくるということです。 
それは明日かもしれないし、60年後かもしれない。 

そこにいたるまでに諦めること、積極的に諦めることは 
難しいかもしれませんが、いろいろと仕事を投げ出さなければならない 
ときはいずれやってきます。そして最後の老い恥を晒して、 
惨めに横死することを観念するでしょう。 


それで、結構ではないかと思うのです。 

それは、結局「全ての死は犬死である」という言葉を受け入れることでは? 
しかも翻って「全ての生は無意味だ」というニヒリズムでは? 
と批判されるかもしれません。 
僕はそのどちらにも敢えて与しませんが、もちろんそうとらえられても仕方なく思います。 

「賢く諦めて老いる」という処世は、決してニヒリズムではないと抗弁しましょう。 
老いとはモノを失い、精神と肉体が滅びるまでの間、 
何ものかを見つける旅の始まりではないでしょうか。 
出来ることなら微笑みながら諦めて、来るべき最期を見つける修行を愉しみたいもの。 



そう思うと、僕は自らの60年後がやや愉しみです。 
たとえ祖母のようになっていたとしても、それも受け入れましょう。 
見るべきほどのことはすでに見たとしても、土に還るまで、 
ゆっくりと考えながら生きましょう。 
最期を迎える練習は出来れば長く取っておきましょう。 





「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、 
 自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、我々が短い一生に生まれついているうえ、 
我々に与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから。」(byセネカ)