―必然的に死ぬために、あるいはそれでも哲学するために―(1)

(以下の文章は2007年2月23日未明に書いたものです)

 

 

哀しい。

 

 

まさしく「索漠とした」という言葉を使いたくなる気分だ…

 

日記を拝見に巡回していたら、

奇遇なことに(いや、この言葉は不適切かもしれない、

なぜなら「奇遇」という言葉は本来は、何かかしら積極的な

好運を意味する文脈で使うのが妥当だと思われるから)、

今日マイミク2人の方が共に友人を亡くされたということを知った。

 

嗚呼、死が、死がまた捕らえて離さない。

またしても死について、深く考える機会を得るとは。。

 

 

もはや避けては通れまい。

 

 

今日は、今日こそは書こうと思う、あのことを書こうと思う。

本来はマイミクが100人を突破した時点で書こうと思っていた

ことだ。

余りにも重たすぎる話題になるため、普段は面と向かって言えない。

しかしそれでも私という人間を、少しでも知ってもらうためには、

是非ともお話しておきたいことなのだ。

 

 

どうか、この日記をここまでご覧の皆さん、

長くなるかもしれないけど、是非とも今日は最後まで読んで欲しい。

身勝手なお願いを今日だけは、どうか許して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれは今からもう7年も前になる…

僕が中学一年生の時のことだ。

 

そう忘れもしないもう直ぐ、「その日」が、

彼の7周忌がやってくる。

 

当時の僕はといえば、中学一年の終わりということもあって、新しい環境にも随分と慣れ始めた頃だ。

中高一貫の学校だから、受験の重圧とも無縁で、

この先の長い「中だるみ」をどう過ごすか、

言い換えれば、この永遠とも続きそうな退屈な日常を、

いかにして暇を潰すか、勉強にもさして興味がわかず、

かといってこれといって打ち込める趣味もなかったので、

下らないことばかり考えて、毎日を蒙昧に過ごしていた。

 

思春期真っ只中とはいえ、男子校だから色めいた話もない。

(もちろん、性の知識に関しては、なぜか皆、

 他の同年齢の人間以上を誇っていたように思う、気のせいだろうか)

類は友を呼ぶが如く、めいめいが気の合うグループを作っては、

ある者たちはケンカやいじめで今日その日を愉しみ、

別のある者たちは、身内にしか通用しない言葉で

マニアックな談義に延々と飽きることもなく花を咲かせる。

孤独な者は、孤独を癒してくれる二次元の世界に没頭する。

 

まあ、みんな要は「暇潰し」だったのだ、と思う。

実際暇は暇だったから、しょうがないことだ。

 

僕自身は、といえば、中学の時は広く浅い付き合いをしていたので、

そのどれも経験していたし、まあ悪いことも結構したように思う。

(人のものを盗んだり、殴ったりといったことはしてないけど…)

 

毎日が暇であることはただ愉しかったし、倦むことも余りなかった。

刺激には乏しいけれども、同じ環境が未来永劫ずっと続くのは

ある意味で究極の幸福ではないだろうか。

ここに甘んじていること、それだけで脳はとろけてしまう―

ユートピア、桃源郷といった類は、

「永遠性」という概念をもつことができるが、

そこには決して到達できない、哀しい人間の有限性を

逆説的な形で提示してくれる代物だ。

いやしかし、そういう観念自体持つことができる人間は、

お気楽だが、最高の幸せ者に違いない。

そうだ、この俺も―

 

閉じた環境では、ものを考えるということ自体が面倒になる。

ものを考えることなど不要だし、考えても役に立たない。

変な考えでも起こすと、変な目で見られるのがオチだ。

まあ、それでもものを考えたいなら、言葉遊びで十分で、

本を相手に言葉遊びという「暇つぶし=娯楽」に興じれば、

それで食欲とか性欲同様に事足りる。

背伸びをして難しい哲学書とか、文豪ものなんか読んでいれば、

阿呆でも何かが分った気になって、嬉しくなる。

じぶんだけに、人には見えていない「世界」が見えてくるのが、

堪らなく愉しくなってくるからだ。

それだから、厄介な傲慢が生まれる。

もうそれについては言うまでもないだろう。

まあそれも口に出さないで、じぶんの中で完結していれば、

それでいいのだ。全く問題はない。

むしろ、自慰と同じくらいに健全なことだ。

何度も言うように所詮は全て暇つぶしなのだ。

殴り合いのケンカや、エロい妄想とさしてかわらない。

「世界」を少しばかり把握したって、未だ彼にとっては

世界は真剣に生きるに値していないのだから…

 

 

 

 

 

 

そうそう、それで、事件が起こった。

 

 

 

3月某日の1時間目。

歴史の時間だった。

 

「春眠暁を覚えず」とは言うものの、中学校時代の僕は表立っては

至って真面目で、授業の最中に寝るなんてことはなかった。

(高校で何故あんなに堕落したのだろう…

 まあそれは今はどうでもいいことだ)

 

ああ、あの時は確か世界史分野の最初の分野を勉強していた。

そうだ、アウストラロピテクスが出てきた!!

いや~歴史は「暇つぶし」の勉強に最適だったから、

本当に大好きで、先生も面白くって、一生懸命配布されたプリントに、

メモを書き込んでいたっけなあ。

そうそう、丁度、授業が始まってすぐだった。

土曜の1限でも、最高に集中していたあの時…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業開始直後、窓の外、しかもそれ程離れてはいない地面で、

何かが「ゴブッ」とい鈍い音を立てたような気がした。

 

僕は耳はいいほう(だと思ってる)

それでも、まあよくある空耳の類か、もしくはまだ外でふざけをしている

連中がボール遊びにでも興じていたのだろう。

さして気にすることもない。よくあることだ。

 

 

しかし、その直後廊下の一番向こう側の教室がにわかに騒然としたのが、

こちら側にも伝わってきた。

間を措かずして、階段の辺りが慌しいことになった。

 

いや、それもよくあることで、誰かが「問題行動」をやらかして、

教師の不興を買ったか、教師が生徒にテストでも予告して、

生徒が生意気に反発をしたかだろう。

教室の騒がしさも、こんな環境ではよくも悪くも、

「馴れ合い」であって、ジタバタ悲喜劇は日常茶飯事だ。

全く取るに足らないが、ないと困る暇つぶしの一環。

 

 

僕のクラスと言えば、隣の喧騒をよそに、淡々と授業が進行していた。

強面の教師の影響も相まって、たとえ何が起きようが、

授業は時間内はきっちりと行われる手はずであった。

それが、ルールで、ルールには誰も抗えない。

絶え間ない日常は、決して乱されてはならない。