書評『断片的なものの社会学』

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前の大学で、とある学生団体に所属していて「自分のおもろい人生、趣味を車座になって語る」という趣旨のイベントをやりました。
その中で、「コミュニケーションが趣味」という人がいて、暇なときによく新世界とかそこら辺のおっちゃんに話しかけたり、電車で見ず知らずの人に変顔して反応が返ってくるか(または返ってこないか)を楽しんでおられるようです(なかなか挑戦的ですね)。

その方、ある日通天閣近くで昼間から酒をあおって半ば酔いつぶれて寝転がっているおっちゃんがいて話しかけてみたのですが、大半の歯が抜けているので何を言っているのかほとんど分からない。その場で30分ほどインタビューをしてみて今日は「失敗」やなと思って、そろそろ切り上げようとしたとき、
「明日な、30年ぶりに娘が孫連れて会いにくんねん、それでな嬉しくて飲んでんねん」(大意)とおっちゃんがずっと言い続けていていたと分かって、ほんの僅かだけ通じ合えたことにニコッとしてくれたと。
その瞬間、何故か涙が出るほど感動してしまったということです。



というエピソードが読書中、鮮やかに脳裏を掠めてしまいました。

何でもない、本当に些細で断片的な記憶でしかなかったのに。

この本には、日々忘れられ省みられることない「断片的なもの」についての著者と他者(インタビューや記憶、そして過去の自分や家族)の記録、エッセイの集積です。

学術的な意味での「社会学」という営みからは程遠いかもしれませんが、いま・ここに佇んでいる偶然な存在としての私と、他者の「無意味さ」を見つめ直し光を当てたい、そんな著者のささやかな希望に頭が下がります。

なんだか、この本を読むといろんな人と話をしたくなってたまりません。
そして、久々に「他の人にも是非読んでもらいたい」と強く思わせられた本でした。