<分裂>するわたしの医師像への処方箋 −臨床哲学的覚え書き−

1.はじめに−ケアにおける「適切な距離」はどこにあるのか?  

 

「だれかを助けたいと思ったら、わたしたちは何よりもまずその人がどこに立っているのかを見つけださねばならない。これこそが支援の極意である。それができないのであれば、他人を助けるなどと思うのは幻想に過ぎない。人を助けるというのは、その人以上にわたしたちのほうが多くを知っているということでもあるが、しかし、何よりもまずわたしたちはその人の知っていることを知らねばならない」  

 

 キルケゴールの言葉を引きながら、ドイツにおける緩和ケアの第一人者ジャン・ドメーニコ・ポラージオは、「これは要するに医学における全ての仕事の出発点です」と述べる。ここで「人を助ける」ことには、もちろんcure(キュア)だけでなくcare(ケア)についても含意されるであろう。

  

−ケアとは何か?  

 

 私たちは、またこの途方もない問いに答えなければならないのだろうか。『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』の中で、鷲田清一は、「『なんのために?』という問いが失効するところで、ケアはなされる」という。「こういうひとだから、あるいはこういう目的があって、といった条件なしに、あなたがいるからという、ただそれだけの理由で享ける世話、それがケアなのではないだろうか」と。ひとは苦しむ存在<ホモ・パティエンス>(V.E.フランクル)であり、他者の苦しみを苦しむことができる傷つきやすい存在(レヴィナス)である。わたしは、他者の苦痛を感じないではいられないからこそ、その苦痛に無関心ではいられない。そこに他者との関係性が生まれる。鷲田は、そう述べながら「ケアするひと」と「ケアされるひと」の関係について、「対象と一体化するのではなく、「切るべきところは切る」という距離感が必要」と釘をさす。自身の役割(職業)を超えた対象との同一性は、それが振れ幅の大きい感情と結びつくとき「燃えつき」を生むからである。緩和ケアを専門とするポラージオも、「自分自身の欲求を切り捨てるのは支援不可能に陥る手っ取り早い方法です。ですからわたしたちは、じぶんじしんのことを十分に気づかって当然です。率直に言えば、そうしなければたちまち他人の心配などしていられなくなるからです(職業としてでも私生活でも)」というケアの現場で起こりうる懸念を強調する。緩和医療では、心理社会的のみならず霊性(スピリチュアリティ)にも配慮したケアが求められる。死を前にした人々に対して、ケアする側(ここでは職業のみならず家族も含める)は、ともすれば「あれもこれも」ケアしてあげたいという気持ちが先走ることになり、患者自身の自立と自律が損なわれることになりかねない。

 役割を超えて実存的な交わりをすることと、距離をとること、その両者を調停させる途は簡単ではない。ここで、ジレンマをときほぐす手立てとして鷲田は、<歓待>、ホスピタリティの概念を持ち出す。歓待が歓待たる本質は主人ではなく、飽くまで客である。客を迎え入れるためには客をじぶん自身に同化させるのではなく、じぶんが変わらねばならない。すなわち、ホスピタリティは、<わたし>がじぶんの同一性への固執や帰属意識を棄却し、他者の呼びかけへと応える存在へと変容するところに成り立つ。

 

 「<臨床>とは、ある他者の前に身を置くことによって、そんなホスピタブルな関係の中でじぶん自身もまた変えられるような経験の場面であるのだとすれば、「実存的」な面と「職業的」な面、この二つが交叉するところがまさに<臨床>という場面だということになる」。 …はずである。

 

2. 医学を学ぶわたしの<分裂>  

 

 前項の「はずである」というのは、蛇足ではない。鷲田の文章をそのまま引用して断定することができない、医学部入学後のわたしの苦し紛れの接尾辞である。わたしは、ほんとうにそのような<臨床>を見出すことはできるのだろうか。鷲田をはじめ臨床哲学に関わる人々とのアクチュアルな関わりを経た後、わたしは「わたしにとっての臨床哲学」を医学で実践すべく、この医学部という場所に身を移すことになった。曲がりなりにも4年間医学を学んでいると、以前のわたしが胸に秘めていた「ケアする主体」としての将来の自己像が、恐ろしいまでにキュアモデル志向型として変容しつつあることに気づき愕然とすることがある。これは「転向」ではない、飽くまで変容である。しかし、変容しつつあるじぶんをわたし自身は受け容れることができないでいる。いみじくも臨床哲学を学んだ過去のわたしと、臨床医学を学んでいる現在のわたしが<分裂>しているのだ。この授業を受講するまでわたしはそのことを曖昧に認識しつつも「仕方ないこと」と納得して自己処理してきた。しかし、本稿を執筆するにあたってじぶんが医学部入学以前の原点から乖離していることはもはや疑いようがないと結論するに至ったのである。いったい、わたしはどこで<分裂>してしまったのだろうか。そして、これからこの<分裂>を修復し、なんらかの形でソフトランディングさせることは可能なのであろうか。

 

3.ただひとつの世界の終焉か、それとも臨床医学のまなざしか  

 

 およそ二ヶ月前に、同じサークルに所属するひとりの後輩がこの世を去った、まだ22歳という若さで。夏の終わりにある稀な感染症に罹患し、入院するも僅か4ヶ月という余りにも短い期間で不帰の転帰であった。この時、わたしは別のSNSで「そのたびごとにただ一つ、世界の終焉」というタイトルで以下のように記述した(以下、その抜粋を引用する)。

 

正直、対面するのは辛かったですが、しっかり彼に最後のお別れをしてきました。

安らかな最期とは言い難い表情は、言わずもがな彼の苦闘を物語っていました。

全く、神様は時としてとても残酷な仕打ちをされるものです。

自分より若いひとが、志半ばにしてこの世を去る。

そうした苦い経験を人生で初めて味わわされたのですが、 この道を歩み始めた以上、これからもきっと待ち受けていることは覚悟せねばなりません。

医学の進歩は目覚ましいのですが、悲しいかな現代医学では治せない病気の方が圧倒的に多いのです。

医学を学ぶとそれを嫌でも痛感させられます。

これから実習で現場に出て、彼よりもっとシビアな立場に置かれている患者さんにお会いすることでしょう。

そこで自分が見聞きしたこと全てがこれからの私の糧になっていきます。

もちろん、彼のことも別な仕方で私自身の人生の一部になっていくことでしょう。

(今はまだ、きちんと受け止めきれていないと思いますが)

memento mori(死を忘れるな)  

 

 彼の死は、紛れもなくわたしにとって「ただ一つの世界の終焉」であった。デリダのように気の利いた追悼文を書くことはできずとも、夭折した彼の世界の終焉をじぶんの世界へと迎え入れること、すなわち歓待することこそがわたしにとっての喪の作業であった。他者の死を受容するために、あえて「書く」という行為(エクリチュール)をし続けることは、その他者に対してじぶんがなしうる最後のそして、最大の歓待の形式ではないだろうか。  

 しかし、わたしはここで、じぶん自身の喪の作業の中である呵責を感じていることを表明しなければならない。それはわたしが「医学を学んでいる」ということである。先のSNSでの投稿を行った時にはほとんど意識していなかったのだが、わたしは彼の死の原因となった疾患が、ある著名人がその疾患で同じく不帰の転機をたどったというニュースにかこつけて、簡略ながらも臨床医学的に記述していたのである。

(以下、同じSNS記事から抜粋)

 

 彼の場合も初発は、この方と同じ「慢性活動性EBウイルス感染症」でしたが、 最後は、血球貪食症候群という非常に重篤な病態に陥りました。 簡単に言えば、免疫細胞が暴走して自分で自分の血球を攻撃、貪食してしまうという恐ろしい状態です。 こうなればもう、幹細胞移植に賭けるしかない。 そこで、前処置として非常に厳しい抗がん剤による化学療法を受けていたようですが、 彼の身体は残念ながらそこまで持ちこたえられず。。  

 

 この記述には、それを読むひとにとって医学的な意味は多少あるかもしれない。しかし、彼の死を悼むことで受容し歓待したり、実存的な反省を加えたりといった意味を読み取ることは困難である。なぜ、わたしはこんな無愛想な文章を仰々しく差し挟んでしまったのだろうか。いま正直に告白すると、彼の死を悼みながら、それに劣らず「症例」として少なからぬ関心を寄せていたじぶんに気づくのである。稀な疾患に罹患した当初から、関連する症例報告や論文をひそかに読み、治療法や予後を推測していた。そして、死後に対面した彼の表情やご家族から伝え聞いた病状経過から「症例」としての彼の発症−死を分析しようしていた−これは、『臨床医学の誕生』の中でフーコーが 指摘していた、臨床医学の死を前提としたまなざしのもとに彼を遇していたのではないか。  

 

病というものを自然との関係において考えるならば、病とは所属不明のネガティヴなもので、その原因や形態や表現は、斜めにしかあらわれず、しかもつねに遠くの背景の上にしかあらわれなかった。ところが病を死との関係において知覚するならば、病とは完全に読みつくせるものになり、ことばとまなざしによる、至高の分析に対して余すところなく開かれたものとなる。死が、医学的経験の、具体的なア・プリオリとなった時にこそ、病は反自然から離れることができ、個人の生きた体の中で、具体化することができたのである(M.フーコー臨床医学の誕生』神谷美恵子訳)  

 

 解剖=臨床医学的方法によるまなざしは、疾患の原因を特定し適切に診断・治療するキュアモデルの前提条件である。そして、わたしは知らぬまに彼をそのまなざしの下で見ていたのだ。「ただ一つ世界の終焉」と言いながら、一方では「症例」として取り扱い、記述を試みるスタイルは、もはや臨床哲学の営みとは言えないかもしれない。そして、恐らくわたしはわたしが今後接することになる多くの人々を同じようなまなざしの下で捉えざるをえないだろう。このような形でしか過去と現在の<分裂>を埋めることができないとすれば、それはごまかし、偽装にすぎないのではないか? 

 

4.医学教育モデル・コア・カリキュラムという罠

 

(都合により省略)

 

5.医学概論は処方箋になりうるか

 

 医学教育で履修すべきカリキュラム(医学教育モデル・コア・カリキュラム)が最低限度であり、出発点であるならばの先には「よりよい医師」になるという目標も考慮されるべきであろう。みずからが「よりよい」職業的存在へとなるべく希求する者は、その職業、学問が「よりよくある」ためにはどうするべきか、あるいはそもそも「よりよい」とは何を意味するのかなど反省を加えるかもしれない。

 そこで想起されるのは、医学概論を創始した沢瀉久敬である。医学概論を一言でいえば「現在ある医学を反省することによって、よりよい医学を創造するための学問」である(杉岡良彦『哲学としての医学概論』)。沢瀉は医学概論が必要な理由として、学問の立場から「科学的医学の分散性に対して、哲学的求心的な反省的統一が必要」、医学教育の立場から「医学の本質を知る事こそ医師・医学者たろうとする者には欠く事の出来ぬ根本問題である医学の本質を知る事は医学の限界を知る事であり、それは医学そのものの正しい進歩のために必要」、国民的見地から「医学概論とは、医学や医療はいかにあるべきかを根本的に追求しようとするものであり、それは医学や医療の現場に満足せず、よりよいものを作ろうとするものである。つまり、医学概論とは単に学問の問題ではなく、国民全体の福祉に直結する最も生々しい課題なのである」と述べている。

  医学概論は、よりよい医学あるいは医療従事者(広義のケア・ワーカー)を創造することを目的とするが、医学のように答え(例えば診断、治療)を出すことを仕事とはしない。そうではなく、つねに「問いを立てる」という哲学の仕事をどこまでも基盤としていく。対象にある具体的な作用を及ぼす応用科学である臨床医学に対して、その限界を明らかにすることで医学と社会の接点をあぶり出したり、他の学問領域との橋渡しをコーディネートしたりする。ここでは沢瀉−杉岡の医学概論について詳しく検討しないが、医学概論はそれを学ぶ者自身の営みにも反省を促し、その営みを変容させうる。それは、臨床哲学臨床医学のあいだで<分裂>を引き起こしているわたし自身へのひとつの処方箋となるかもしれない。

 

6.結びにかえて 

 

 「哲学とはおのれ自身の端緒が絶えず更新されてゆく経験である」。これは、鷲田が度々引用するメルロ=ポンティの言葉である。能力や属性や素質などを所有する<わたし>ではなく、他者からの呼びかけという事実のなかで、そのつど確証される<わたし>。これは、ケアするひとを、さらにはケアするひとをケアしようとしているひと(《臨床哲学》を試みる者)にもひとしくあてはまると鷲田はいう。  

 わたしは来たるべき将来一人の医師として、治療を求める他者からの呼びかけに応じる義務がある(「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」 医師法第19条第1項)。そのときに、誰でも交換可能な役割としての医師を演じようとするのであれば、わたしはキュアする者としては合格でも、ケアを担当する資格はおそらくないであろう。何度呼びかけに応じたとしても「おのれ自身の端緒が絶えず更新されてゆく経験」も得られないであろう。目の前の助けをもとめる人を「患者」や「症例」という捉え方でのみ把握しようとすると、冒頭で引用したキルケゴールの言葉通り「その人がどこに立っているのかを見つけだすこと」はできない。そこで、《臨床哲学》を試みる者のひとりとしてわたしができることは、おそらく知識や技術で十分な備えをしつつも「相手がじぶんに何を求めているか」を考え、相手の言葉と存在に耳を傾けること、もっと言えば無防備な状態で「待つ」というスタンスであろう。キュアを前提しつつ、よりよい医学を行うためにじぶんが変容しうるケアの関係性へと踏み出していくこと。そのための視座や立脚点をこれからの職業人生で絶えず探していくことが、わたしの臨床哲学臨床医学との<分裂>を修復、いや<分裂>という捉え方自体を少しずつときほぐしていくだろう。

 

引用・参考文献

鷲田清一(1999)『「聴く」ことの力−臨床哲学試論』阪急コミュニケーションズ

鷲田清一(2006)『「待つ」ということ』角川選書

・ポラージオ, CD(2015)『死ぬとはどのようなことか−終末期の命と看取りのために』佐藤正樹訳、みすず書房

デリダ, J(2006)『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉』土田知則・岩野卓司・國分功一郎訳、岩波書店

フーコー, M(2011)『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房

・杉岡良彦(2014)『哲学としての医学概論−方法論・人間観・スピリチュアリティ新曜社