若き外科医への手紙

〇〇××先生 2年間の臨床研修修了おめでとうございます。オリエンテーション期間から外科ローテーションにかけて○○先生には大変お世話になりました。ERでは「内科はもう二度と診たくない」と毒を吐きつつ、救急車に翻弄されるわたしを何度も助けてくださり、…

僕とチョコレートのテーゼ

もうすぐホワイトデーだなあ、と思いつつ今年も母親からもらったものしかないので、返しようもなく、自分で買ったほろ苦いチョコレートを今日も一つ。チョコレートは美味しい、それは絶対的な善である。という信念は今も昔も変わりません。そういえば、昔の…

Tu me manques

「…君は強いね」 彼は紫煙をくゆらせたまま窓の外に目を反らし、苦笑とともに呟いた。 彼女はその何気ない科白を遮って続けた。 「強いとか弱いとか、そんなんじゃないの。結局、淋しいとかそういう思いはそういう思い自身によって助長されるようなものでし…

<分裂>するわたしの医師像への処方箋 −臨床哲学的覚え書き−

1.はじめに−ケアにおける「適切な距離」はどこにあるのか? 「だれかを助けたいと思ったら、わたしたちは何よりもまずその人がどこに立っているのかを見つけださねばならない。これこそが支援の極意である。それができないのであれば、他人を助けるなどと思…

書評『断片的なものの社会学』

Amazon.co.jp: 断片的なものの社会学: 岸 政彦: 本www.amazon.co.jp 前の大学で、とある学生団体に所属していて「自分のおもろい人生、趣味を車座になって語る」という趣旨のイベントをやりました。 その中で、「コミュニケーションが趣味」という人がいて…

句集(2011-2012)ー附 どうして私は俳句をつくるようになったかー

昔俳句をやっていまして…と呟いたらとある方に「是非ご紹介を」と言われまして昔のPCをまさぐって発掘作業。 分かりやすくも、デスクトップに保存してありました。いつかどこかに投稿でもする積もりだったのかしら笑 一部の方ならご存知かもしれませんが、私…

マヒドン大学熱帯医学研修プログラムへの参加報告 −The Report of Elective Program in Tropical Medicine by Faculty of Tropical Medicine, Mahidol University − (研修期間2014年8月4日〜2014年8月29日)

1.今回の短期留学プログラムの概要について マヒドン大学熱帯医学研修プログラム(Elective Program in Tropical Medicine by Faculty of Tropical Medicine, Mahidol University,以降本報告において「本研修」と記す) は、マヒドン大学熱帯医学部のOffice …

或る士官候補生との再会

こんにちは、久方ぶりの更新となります。 少し、心に留めておきたい出来事があったので書き残そうと思います。 先日、旧い友人と旭川で再会を果たしました。 彼は現在とある軍事教育を行う大学校の4年生であり、訓練で北海道を訪れています。 旧友とは言って…

怒りについて

(以下の文章は筆者が当時20歳、2006年11月30日に投稿された日記を一部編集した記事です) 昨日、告白すると、私はある人々に対して、大変な怒りを覚えた。 立場の違いや、その場の雰囲気や、 もはや自分自身の理性までもをもないがしろにして、 その怒りを…

 ―必然的に死ぬために、あるいはそれでも哲学するために―(3)

自殺した彼と僕はそれほど親しかったわけではない。 葬儀には出席したけれど、個人的に深い哀悼の意はなかった。 それは祖父の時とあまり変わらない。 彼がなぜ自ら命を絶ったのか、どんな事情があったのか、 それは僕の興味をあまり引かなかった。 (家庭の…

―必然的に死ぬために、あるいはそれでも哲学するために―(2)

そうは言っても、段々と騒ぎが大きくなると、 こちらものべつそわそわしてくる。 退屈な授業を妨害してくれる愉しい暇つぶしの種が出来たから、 もう居ても立ってもいられない。 みんな、それが今一番の関心事になってしまっている。 堪えきれずトイレを言い…

―必然的に死ぬために、あるいはそれでも哲学するために―(1)

(以下の文章は2007年2月23日未明に書いたものです) 哀しい。 まさしく「索漠とした」という言葉を使いたくなる気分だ… 日記を拝見に巡回していたら、 奇遇なことに(いや、この言葉は不適切かもしれない、 なぜなら「奇遇」という言葉は本来は、何かかしら…

【書評】『決められない患者たち』

決められない患者たち作者: Jerome Groopman MD,Pamela Hartzband MD,堀内志奈出版社/メーカー: 医学書院発売日: 2013/04/05メディア: 単行本この商品を含むブログを見る GW中は最終日以外毎日飲んでましたが、積読もすこしは消化しました。 たまには書評な…

優しい止まり木

一昨日訪れたbarのカウンターで、隣で酔いつぶれて寝てしまった中年男性がいました。 オーセンティックなbarでそんな失態をやらかすのは無粋の極みですし、僕はどうしても好きになれません。例えどんな事情があるにせよ、マナーというものは守るべきだと思い…

アマチュア主義者宣言。と、父をめぐる回想と決意

(以下の文章は約5年前、21歳の誕生日に書いたものです) 誕生日なのにのっけから重苦しい話ですが… 21にもなって、何か方向性らしきものが掴めた気が全くしません。 これは生活態度はさておき、最近の読書傾向に顕著かと思う次第。 専門分野とは違う、文学…

言語の終焉 -平凡な事実としての死を乗り越えるために-

(以下の文章は、5年前に大学のとある授業レポートとして提出したものです) 世界とは、起きていることすべてである。 世界は事実の全体であり、ものの全体ではない。 起きていること、すなわち事実とは諸事態の成立である。 L.ウィトゲンシュタイン『論理…

私的教養論(1)−或元文学部堕落生之戯言−

以下の文章は、2006年10月3日に書いたものです。 つまりは6年前、私が文学部1年生の時。 最近考えていたことと大筋では変わらないことにちょっと驚きました。 人間は何時まで経っても、根っこは変わりそうにありません(笑 続編を書きたいなあ…テストが終…

自背録(7)-私的友情論(改)-

悩みを全く抱えていない、究極的な楽観主義者などいるだろうか。 誰もが煩わされる生老病死の苦は言うに及ばず、 他者から見ればどんなに些細な、取るに足らないこと (異性にもてないとか、社交的でないとか、朝起きれないとか、 身長がもう少しあればとか…

地域医療学事始 −北海道の地域医療と、旭川医科大学の地域医療教育への提言−

序 「北海道の地域医療は崩壊している」という議論が以前にも増してかまびすしい。しかもその議論は、往々にして「地域医療のために北海道に残る医師を育成せよ」という主張と結びついている。単純に地域医療に従事する医師を増やせば、問題は解決するであろ…

disablingからenablingへ −「企て、画す」という営みについて−

(以下の記事は2008年11月10日の日記を編集したもの) 最近どうしてもしばし批判的になってしまうのですが、 企画者としても、参加者(学内学外での様々なイベントだけでなく、 お祭や行事、企業セミナーやインターンなども含め)としても、 「わかりやすか…

自背録(6) ―雑駁、雨、祇園祭―

夕方からの、折からの激しい雨。 5限の授業を欠席して、大阪から京都に戻り、 皮膚科での診察を終えると、 重苦しい曇天はいつのまにやら既に臨界点を突破していたようだ。 この時ほど、自転車という乗り物がこの上なく不便になるときはない。 でも、しょう…

自背録(5)−「人々」のずるさ−

「人々」は残酷である、 しかし「人」は優しい。 (『迷える小鳥』ラビンドラナート・タゴール) タゴールは、なぜ「『人』は優しい」を、 逆接の後ろに置いたのだろうか。 そこに、何故か私は引っ掛かってしまうのである。 残酷な「人々」の前では、たとえ優…

自背録(4)−Holiday Junky−

みなさん、今晩は。 雨は中々降り止みませんが、過ごし易い日々が続いてますね。 この雨の谷間の奇跡的な週末が、模試なんかなければ、受験なんかなければ 昼下がりに鴨川の川べりで通俗小説を枕にしたり、 京都御所で腕白小僧とサッカーやキャッチボールの…

自背録(3) ー「ダメ人間」の条件ー

政治哲学者ハンナ・アーレントによれば、 「人間の条件」の基本的要素となる活動力は以下の三つのカテゴリーに分けられるという。 1. 労働(labor):人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力 2.仕事(work):人間存在の非自然性に対応する活動力。 生命を…

自背録(2) ―教わる者の傲慢、教える者の傲慢ー

某大学での会話。 または、某電車内でのお喋り。 あるいは、某SNS上でのコメント、ツィート。 もしくは、 … 「私が教えている中学の子は、何を言っても物分りが悪い。 九九さえまともにこなさせないのよ…これだから底辺校の子は。。」 「あの教え子は、同じ…

自背録(1)−恥について−

恥。 大いに恥じた経験は、後になって思い返してみると、 それほど大した後悔の念を催さない。 むしろ、その記憶は若干の苦笑が伴うことがしばしばだ。 それはつまり、我々が何らかの形で自分がかいた恥を 肯定的にとらえたい、という思いなしがあることに他…

失われた6年間を求めて

こんばんは。 一週間に一度以上はブログ更新したいと思っていたのに、 日常に追われていると決意も鈍ります… 6年前に初めて大学生になったときは、毎日のようにくだらない雑文を書いていたのですが、妙にここ最近は長い独白は億劫になりました。 世間並みの…

諦念としての「老い」

今日も過去の日記からインスピレーションを受けて書いてみました。 テーマは、「老い」についてです。 昨年四月の初旬に、僕は祖母を病院に見舞いました。 70数年を生きてきた祖母は冬の終わりに足を腫らし、 それが悪化したとのことで、一ヶ月ほど入院を余…

沈黙するとは別の仕方で、あるいは沈黙することの彼方へ

ようやくテストもひと段落着きました。 これから、ブログの方も本腰入れていきたいと思います。 「書く」という行為からしばらく遠ざかっていると、 自分の「スタイル」というものが見出せなくなります。 いま、書きたいことがあるのに、ことばの不在、自己…

若き日の信条

テストを終わったらブログを始めるつもりでいましたが、 まだ期間中にも関わらず始まってしまいました(苦笑 テストのためだけの勉強、実習・実験のためだけのレポートに追われて毎日をあくせく過ごしていると、「一体自分は何のために医学を学びにきたのか…