disablingからenablingへ −「企て、画す」という営みについて−

(以下の記事は20081110日の日記を編集したもの)

 

最近どうしてもしばし批判的になってしまうのですが、

企画者としても、参加者(学内学外での様々なイベントだけでなく、

お祭や行事、企業セミナーやインターンなども含め)としても、

 

「わかりやすかった、楽しかった、刺激になった、ためになった」

 

で始まり、それで終わらせてよいのか、という問題意識を抱いております。

もちろん、感性的にそういう要素がなければ人というものは、

集団的な営みに自ら参加したり、自ら作り上げたりしようとはなかなか考えないはずです。

企画者の立場からすれば、企画という営みが、

何らかの集合へのサーヴィスである以上、参加者を顧客と捉え、

マーケティング的手法を駆使して、できるだけニーズを満たしてやる、

という仕事は不可欠でしょう。

だから、企画者はそれだけ「目玉」を意識してサーヴィスしようとする。

コンサートにせよショーにせよ、ビジネスの世界では当たり前の話です。

 

一方で、参加者の方は、「こんなものがあったら行ってみたい」

という、「楽しく、刺激的で、ためになる」ようなものであれば、

積極的に参加しようとするでしょう。

例えば、有名人が来るとか何らかの特典が付随するだとか、

人生上の「成功」(収入やキャリア、能力、人脈など)に直結するとか。

目玉があれば飛びつきますし、それはそれで分りやすいぶん、

参加後の満足という「お土産」がついてくるのでしょう。

 

企画や催しというものが往々にして「自己満足」であるという

批判は、常々至るところから出されるものですが、

それはある程度「集団的行為」が成功(何をもって「成功」の基準とするかは措いておいて)するための必要条件だといえます。

(十分な条件、ではない?)

 

アンケート用紙に「満足しましたか?」という項目

がお約束で設置されており、それに参加者はYESと書き込むこと、

また企画者はそのYESの数と質(満足度の高さ)に腐心すること、

を考えれば、「自己満足」なのはすでに両者とも織り込み済みなわけです。

だから批判したい人は、批判すれば良いけど、企画当事者からすれば、

彼らは企画趣旨や対象から外れた「クレーマー」だという認識になる。

(もちろん、クレーマーが相対的にかなり多ければ、企画は失敗の烙印を押されますが)

 

逆に「不快だった」、「予想を裏切られた」、

「全く関心とずれていた」という答えが返ってくるとどうしようもないので、

それはなるべく避けたいし。両者ともそんなことは望んではいない。

それゆえ、企画者はどうしても迎合的にならざるを得ないし、

参加者はたとえ無料のイベントであっても、

時間というコストを払っているのだから容赦なくクレームをぶつけて、

ますます、自分たちの見たいもの、聞きたいもの、知りたいものだけを、

企画者に求めようとする。

 

 

問題意識を発見したり、価値創造を目指したりするような企画趣旨であっても、

構造的に、企画-参加(生産-消費)する営みである以上、両者が

もはや、享楽や娯楽的位置づけ、エンターテイメント化を志向するのは

サーヴィス産業としての宿命なのでしょうか。

 

だとしたら、余計なことやややこしいこと、複雑で先がみえずもどこかしこで、

アタマを悩ます必要もなく、最初から、

 

「わかりやすくて、楽しく、刺激的で、ためになる」

 

だけを考えていればそれでよいのでしょうか。

 

 

 

 

先日STS科学技術社会論)学会でのバイトで、

鷲田清一総長(当時)の講演を拝聴する機会がありました。

正直三度目なので、いつもの紋きりと思っていたら、

こんなことを仰っておりました。

 

「高度に専門的にサーヴィス化した社会では、

 ひとりひとりが実は無能力に陥る。

 というのは、プロフェッショナルは、その営みによって、

 大衆は一方的な情報の受け手となり、

 あらゆる日常的行為においてdisabling(出来なくする)からである」

 

この議論はイリイチという人の議論が元ネタなわけですが、

これはまあ、高度情報化社会では避けられないハナシだと。

 

過剰な情報に踊らされる「情報難民」は、受験生も

大学生新入生も就活生も同じですが、

過剰な情報を与えられると、人はやはり自分が何をしていいか分からなくなり、

本当に何をしたら満足できるのか、そのためにまた過剰な情報を求めたがり、

ますます主体的になりづらくなってくるわけです。

 

難しいハナシですが、まあ、ビデオやテレビばかり見て育った赤ちゃんが

どういう性格になるかを考えれば分りやすいかもしれません。

 

とりあえず、企画者にとしては、

単純に参加者を満足させて、disablingするようのではなく、

逆にいかにenablingできるようなものを目指して行きたいと、

個人的な信条としてこれからも持ち続けたいと思います。

とはいえ、常にenablingできるような企画は設計が難しい…

 

自分が参加者として企画に関わるときは、「どれだけenablingさせられたか」

を経験値として蓄積することが大切なのは言うまでもありません。

 

ワークショップや、集会、勉強会などなんでもよいので、

そこで得たenablingな体験を不断にインプットしていくこと。

インプットした内容を抽象化し、ストックしておくこと。

 

それが、次に自分が企画者として関わったときに、

参加者をenablingする一番の近道ではないかと思う次第です。