Tu me manques

「…君は強いね」

 

彼は紫煙をくゆらせたまま窓の外に目を反らし、苦笑とともに呟いた。

彼女はその何気ない科白を遮って続けた。

 

「強いとか弱いとか、そんなんじゃないの。結局、淋しいとかそういう思いはそういう思い自身によって助長されるようなものでしかないの。淋しさはそれだけで成り立つようなものじゃないわ」

「でも、だって、君、君だって淋しい思いをしたことはあるだろ。例えばまだほんの子供の時分とか…」

「違うの。“淋しい”ってなんだろうって、時折思い出したように私は考えるのよ。『あなたなしじゃ生きられない』とか『君がいなくなったら僕はどうすればいいんだ?』なんて陳腐な科白があるけれど、あれって嘘でしょう?実際、私達は特定の誰かを失っても生きていけるのだし、誰もがそうしているじゃない。相手に嘘をつくばかりか、自分に対しても嘘をついて、媚を売っているのよ」

 

急に挑発的になった彼女に興味を覚えたらしく、 彼は珍しく反駁を試みた。

 

「確かに僕らは誰かを失っても生き続けているし、いずれまた親しい関係を別の誰かと築くこともできる。けれども、突然これから一人で生きていくには淋しすぎるし、いま愛するひとを失うことは耐え難いだろう。だから、破局や死別の淵に立たされて、来たるべき相手の永遠の不在を嘆く時、狂おしいほどの愛が募ってくる…結局さ、淋しい自分を相手に訴えるのは、終末を悟った究極的な情愛のかたちなんじゃないかな?」

「そう言えば耳障りはいいかもしれないけれど、淋しい私、誰かのせいで淋しさを感じる私なんて歪曲した自己憐憫、あるいは感傷、もしくは依存心でしかないわ」

「やっぱり、君は強いんだね」  

「…」

 

沈黙のあと、彼は再び窓に目をやって苦笑した。

さっきから降り始めた雨は全くやむ気配すらない。地面に叩きつけられた抵抗の声だけが二人の間に流れている。 彼女はふうっと溜息を一つついた。

 

「本当に淋しさが埋められるのならね、私も慰めあう彼らに哀れみの眼差しを向けたりしないわ。でもね、淋しさはどこまでいっても淋しさなの。淋しさは“私”の内側からふつふつと沸いてくるもの。それを癒すのは、“私”の外にいる誰かではなく、“私”自身でしかないの。淋しさは孤独と一緒。外からの火ではけっして燃えない炭のようなものなの」

「外からの火では燃えない炭か。それじゃあ結局どんなにか温めあったところで、その温もりは身体の芯まで温めることはないんだね。熱源が去ってしまえば、また急に冷たくなってしまう」

「だから、私には淋しいという気持ちが分からないの。もっと言ってしまえば、独り生まれ、また独り死んでいく定めにある私達は、その誰もが淋しさと共に生きているの。誰かと出会ったとしても、何れは絶対に別れなければならないでしょう。死の影の孤独という淋しさ、“私の痛み”のように、私しか知りえない淋しさを抱えているの。いくら温めたところで、炭は所詮炭どうし。そんな定めにある私達は、本来的に誰かを温めることなんかできっこない。だから、淋しさに泣くことも、誰かに依存することも、けっして淋しさをどうこうできるわけじゃないの。彼らは癒えることのない傷口を必死で舐め合っているだけ…」

 

彼は大きく目を見開いて彼女を凝視した。

 

「君には淋しいという気持ちが分からないの? 本当に…?」

「分からないわ。だって何かを、誰かを淋しがったところでどうにもなるものでもないでしょう? 自分を安売りして別の誰かに淋しさを紛らわしたとしても、そんな不貞は朝日と共に覚めてしまうでしょう? …私には絶対に分からないわ」

 

 彼女の顔を一瞥して、彼はおもむろに立ち上がった。もう振り返ることもなく傘を手にして、ドアのノブに手をかけながら言った。

 

「それなら、なぜ、さっきから君はずっと涙を流し続けているの?……」