マヒドン大学熱帯医学研修プログラムへの参加報告 −The Report of Elective Program in Tropical Medicine by Faculty of Tropical Medicine, Mahidol University − (研修期間2014年8月4日〜2014年8月29日)

1.今回の短期留学プログラムの概要について

 マヒドン大学熱帯医学研修プログラム(Elective Program in Tropical Medicine by Faculty of Tropical Medicine, Mahidol University,以降本報告において「本研修」と記す)

は、マヒドン大学熱帯医学部のOffice of International Cooperation (OIC)が主催し、タイ以外の国々の医師、医学生そのた医療従事者を対象とした、tropical medicine(熱帯医学)を学ぶための短期研修プログラムである。今回私が参加したのは2014年8月4日から2014年8月29日までの夏期研修であり、研修期間には、旭川医科大学の夏期休暇および、休暇終了後の約2週間(研修該当期間は欠席届の受理に基づく)が充てられた。前半2週間では、タイの首都バンコクにおいて、座学講義を中心に熱帯医学の総論および各論(寄生虫学や微生物学などの基礎医学および、マラリアデング熱HIV/AIDSなどの感染症学、皮膚科や小児科領域における熱帯病の症候学など)を学び、後半2週間では、タイ南部の地方都市ラノーンにて、中核病院である公立ラノーン病院での病棟回診や外来、派出診療所での診察に参加した。

 同様の研修プログラムは毎年行われており、例年旭川医科大学からは医学科3、4年生から数名が参加している。事前募集で参加者を募ったが、今年度の本学からの参加者私1人であった。

なお、本研修における他の参加者は、イギリス、ニュージーランドオーストリアから医学生が1人ずつ、スペインから小児科レジデントが1人、ニュージーランドから心理学者(精神科医)が1人、マカオから医工学者(medical engineer)が1人、台湾から看護師が1人という構成で、全体で8名(うち、後半2週間のプログラムに参加した者は6名)であった。私が知り得た情報によれば、今回の参加者は国籍も年齢もバックグラウンドも全て異なる大変稀な例であるという。後述するが、この多様性に富んだ参加者から私が学んだことも非常に大きい。

 

2.本研修の参加動機について

 本研修の存在を最初に知ったのは、2年前の医学科1年生の頃、親しくしていた前年度前々年度の参加者から聞かされた時である。私自身は、入学まで海外留学への関心がそれほど高かったわけではない。しかしながら、先輩方から話を聞いて以来、私はタイでの短期留学を渇望するようになっていった。本学においては、医学教育のコア・カリキュラムに基づき、低学年次では基礎医学を学び、3年次から臨床医学を学習が始まる。私自身は、臨床医学の科目を学ぶにあたって、「どうしても実際の臨床現場を一度よく見ておきたい」という気持ちが強く、自らの学習動機を高める上で、座学講義以外に地域医療実習などのプログラムへの自発的参加を考えるようになった。本学においても学年を問わない地域医療実習のプログラムが行われており、私も何度か参加を検討していた。しかし可能ならば、それ以前によりチャレンジングな環境で様々な経験から知見を得て今後の展望の視座としたいと考え、まず短期での海外留学を希望した次第である。

 また、2年生で微生物学寄生虫学を学習したことや、個人的に医学史や感染症関係の書籍を読んで、本研修で学ぶ熱帯医学という分野に強い関心を抱くようになったことも影響している。熱帯地域は、有史以来感染症を始めとする疫病の起源であり、現在もその罹患者はむしろ増加している。また温暖化に伴いこうした熱帯地域に限定された感染症が世界的に流行する可能性がある。確かに、熱帯医学で学ぶ疾患の相は、日本で一般的に見られる疾患の相とは異なっており、日本で医療従事者として活動する上で、必ずしもすぐに役に立つ知見を得られるというわけではないだろう。しかしながら、熱帯医学の概念や疫学的なアプローチを学ぶことは、パンデミックへの対処や、公衆衛生政策を理解する上で重要であるし、また将来的に海外で医療活動に従事する可能性も考えれば非常に有益であろう。

 もちろん、副次的な動機として、語学力の養成や、他の参加者や現地での医療従事者との交流、観光的側面から異国文化に触れることなども挙げられる。特に、語学力については後述するが、本研修では医学英語学習を強烈に動機付ける体験を何度も得た。1ヶ月という短期間であるから、本研修での劇的な語学力の向上は望めなかったが、研修終了後には英語という言語への見方が変わったことで、語学学習の動機付けも以前より明確になったと言える。

 

3.バンコクでの研修

 先述した通り、バンコクでは熱帯医学の基礎的な知識を座学で学ぶことが中心である。しかしながら、座学以外に実際に大学付属病院や市中病院で病棟回診に参加したり、病理標本を観察したり、解剖学博物館を訪れたりする実習型プログラムも数多く用意されていた。バンコクで学んだ内容のうち、とくに強く印象に残ったことを以下にまとめた。

 

・熱帯医学を学ぶ意義について

 熱帯医学は、「熱帯地域およびその周辺地域に関わる健康問題を扱う医学分野」と簡潔に定義される。ここでいう「熱帯地域」とは赤道±23.5度を指し、現在144の国々と世界人口の約40%が暮らしている。なお、2050年には50%を超えると見られており、この地域における公衆衛生上の問題が、国際保健全体に与える影響はかなり大きい。熱帯地域では、乳幼児死亡率が高いために、それ以外の地域と比較して平均寿命は8年ほど短くなっている。この地域で多く見られる疾患は、マラリアデング熱寄生虫といった他の動物(多くは昆虫)によって媒介される感染症である。特にマラリアは現在も全世界で2億人を超える人々が感染し65万人以上の人々、特に乳幼児が犠牲となっている。また、Neglected Tropical Disease(NTD,「省みられない熱帯病」)によって、毎年5億人の人々が命を落としているという深刻な問題もある。NTDは費用対効果が乏しいために、治療法や薬剤の開発が遅れている疾患であり、多くが熱帯地域で局所的に流行している。

 では、こうした熱帯地域で見られる疾患を学ぶことには、どんな意義があるであろうか。それは、非熱帯地域に在住する医療従事者−おそらく私自身も将来はその可能性が高いのであるが−にとって、有益と言えるであろうか。「今日の世界では、熱帯医学が対象とする疾患はもはや熱帯医学の領域を大きく超えている」という事実がその疑問へのひとつの回答となるであろう。   

 現代において、人間の行動範囲は飛躍的に拡大し、ヒト・モノ・カネの流動性が著しく増加したのは言うまでもなく、また温暖化をはじめとする気候変動状況は、熱帯病の世界的な拡大に大きく寄与している。気候変動、旅行者の増加、食糧供給のグローバル化によって、局地的な熱帯病が、世界的な流行すなわちパンデミックとなるリスクは有史以来最高レベルと言ってよい。

 

・種々の感染症について

 熱帯病の悪名高い媒介者であるカを例にとってみると、一般にカは高温多湿な環境では、繁殖速度が早い。すなわち、地球温暖化によってカが媒介する感染症マラリアデング熱西ナイル熱日本脳炎、チックングンヤ熱)が、温暖化やヒトの移動に伴って非熱帯地域で流行するリスクが高くなっている。奇しくも本研修中に、日本では約70年ぶりにデング熱が大流行となった。帰国後にデング熱に関する報道や、報道に接した一般市民、医療従事者の反応を見ていると、こうした感染症を「正しく理解し、予防する」ことがいかに重要かを痛感する。タイではデング熱は全く珍しい疾患ではなく、ほとんどの医療機関で正しく診察、治療を受ければ軽快する感染症である(もちろん、デング出血熱に至った場合は、致命率が高くなるので注意を要する)。

 病棟回診では、実際にデング熱マラリアなど患者を診察する機会があり、患者のCBC(全血算)や生化学検査の結果を医師や看護師が示し、それに答えるという実習が行われた。時には、問診、触診や画像読影も求められ、それに基づいて症例をディスカッションする。これは、留学前に予想していたよりもはるかに高い水準であったが、双方向的な学習機会であり、臨床実習が始まる前の3年生では貴重な体験になったといえる。回診で特に印象に残ったのは、市中病院でのHIV/AIDS病棟である。タイでは、1980年代末にHIV/AIDSの感染爆発があり、現在判明しているだけでも成人人口の約1%が感染し、感染者数は100万人以上と推定されている。したがって、HIV/AIDSもまたタイでは「ごくありふれた」病気といえる。

 私自身2年生で学習した微生物学ではHIV/AIDSについて主にウイルス学的な感染、発症機序は学んだが実際に臨床現場で患者と接するのは、もちろん初めてである。病棟回診では、主にAIDSを発症した末期の患者の合併症について様々な所見、および治療方針を学んだ。AIDS患者は、免疫力の低下に伴って様々な日和見感染症にかかりやすくなる。実際に回診では、結核、ニューモシスチス肺炎、サイトメガロウイルス肺炎などの呼吸器病変や、疥癬や帯状疱疹などの皮膚疾患の合併症例を見ることができた。末期患者の多くは、AIDS発症時点でCD4の値が200未満であり、予後は非常に悪い。また、医療資源が限られている中では、用いることができる抗ウイルス薬、抗菌薬も多くはないという現状である。医師や看護師をはじめとする医療従事者も十分とはいえないので、病棟では末期患者の身の回りを家族が行っているケースも多々見受けられた。本研修では訪れる機会はなかったが、バンコク郊外には、身寄りのない末期AIDS患者のためのホスピス寺院がある。そこでは、都心から人目を忍ぶように、ひっそりと余生を過ごす患者が今でも後を絶たない。感染者が多くとも、感染者に対する社会的な差別は未だ根強いという。

 

4.ラノーンでの研修

ラノーン(Ranong)について

 バンコクでの2週間の研修後、われわれ研修参加者は南部の県ラノーンへ移動して、病院での実習に参加した。ラノーンの県西部はプーケットとつながる山脈があり。この山脈にモンスーンが当たるため雨が非常に多く降る。ラノーン県はタイの県の中で一番雨の多い県といわれ、雨期も長く8ヶ月も続く。本研修期間中も雨季の真只中であり、スコールの激しさはバンコク以上であった。緯度的には赤道に近いものの、日中の気温は20℃代半ばから後半と、バンコクに比べて過ごしやすい日が続いた。

 ラノーンは人口40万人弱のであるが、温泉があり、少し離れたリゾート地の孤島ともアクセスが良いので、国内外から訪れる観光客は少なくない。しかし、多くの住民にとって外国人は物珍しいようで、街中や病院、温泉に行くと、ジロジロと見られることがあった。ラノーンには昔ながらの家屋が立ち並んでおり、スーパーやコンビニも少なく、個人商店が並んでいる鄙びた風景が広がっている。人通りは日中も多くはなく、夜は飲食店やホテルの一歩外を出れば静かである。人や乗り物、屋台が昼夜問わずひしめき合って喧騒漂う雰囲気のバンコクとは何もかもが対照的と言っていいだろう。

 このラノーンにおいて注目すべきは、ミャンマー(旧ビルマ)との国境という地理的特性である。住民の約半数がビルマ人(女性は特徴的な化粧をするので容易に判別可能)が占めている。ビルマ人はパスポートなしででも国境は行き来できるが、彼らは語族的に異なるビルマ語を話すため、タイ語を日常的に話すことができる者は少ない。しかしながら、ミャンマー側からタイ側へは仕事を求める移民労働者が絶えず流入しており、後述するようにこの地域における教育や医療サービスの事情を複雑にしている。

 

・国立ラノーン病院(Ranong Hospital)について

 ラノーン病院は、ラノーン県唯一の公立中核病院として、毎日約1000人の来院者を受け入れていれており、常勤医師はインターンも含めて約30名である。診療科は、確認できた限りでは一般内科、一般外科、小児科、産婦人科に属する医師が多く、また、眼科、皮膚科、耳鼻咽喉科、形成外科のトレーニング受けた医師も勤務している。本研修の後半2週間、私たち参加者は主に日替わりで病棟回診や外来、手術、プライマリーケアのクリニックなどを見学した。バンコクで学んだデング熱マラリアなど熱帯医学が対象とする疾患の臨床例には、残念ながら実習で学ぶ機会は少なかったが、外来で結核HIV/AIDSを詳しく学ぶ機会を得た。

 

 ・結核HIV/AIDS外来

 結核は、タイにおいては未だ新規患者が絶えない感染症である。ここラノーンでも、毎年100名が結核を発病している。外来担当医師からは、抗菌薬の処方方針や、X線画像読影、薬剤耐性化へのアプローチを詳しく聞くことできた。また、肺結核以外にも脊椎カリエスの患者も来院しており、全身疾患という観点から結核を理解する重要性を学んだ。同日午後に見学した、HIV/AIDS外来では、バンコクで見学した病棟回診とは異なり、HIV感染初期の比較的元気な患者から、CD4が一桁の末期患者まで幅広い人々の臨床例に触れた。患者はほぼ隔月ごとに訪れ、必要であれば血液検査を受け、それをもとに医師が多剤併用に用いる治療薬の選択と、服薬指導を行う。患者相は老若男女様々であるが、AIDSを発症し合併症の治療を受けるのは40歳代以上が多い。中には、両足を鎖で繋がれた少年受刑者(麻薬静注により感染、肝炎も併発)や、僧の姿も見受けられた。

後日のプログラムである小児HIV/AIDS外来を見学した際、母子感染の多さに私は少なからず衝撃を受けた。中でも、水平感染(性交渉)によってHIVに感染した10代女児が、妊娠、出産を経て垂直感染(母子感染)が起きてしまった臨床例には、タイにおける深刻なHIV/AIDS禍の一端を垣間見たといえる。その薬剤の大きさや副作用から、服薬を中断する患児が少なくなく、医師もこうした患児への服薬指導には苦慮せざるを得ない。集団カウンセリングでは「きちんと薬をのむために守るべきこと」を患児自身が考え、模造紙に書かせる指導が行われていた。

 

NICU、産科、小児科

 NICUおよび小児科病棟、外来では、ラノーンが直面する特殊事情が如実に反映されている。先述した通りラノーンではミャンマー側からビルマ族の人々が常に流入しており、病院の来院者も関係者の話では、過半数を超えているという。したがって、ラノーンの病院やクリニックにおいてはタイ語ビルマ語を操ることが出来る医療通訳の存在は欠かせない。産科や小児科では、特に緊密なコミュニケーションを要するために医療通訳者の数も他科より1人以上は多く配置されていた。ある資料によれば、出産数はラノーン病院ではミャンマー人比率が 50%(月に約200 ケース中約100ケース)に達している。ラノーンでの研修期間中は、産科の帝王切開の見学は、可能であればほぼ毎日見ることが出来、1回につき15分とかからないほどである。母子ともに健康であれば、出産後3日ほどで退院できるが、そうでない場合、例えば未熟児や感染症の危険性がある場合はNICUへ送られることになる。NICUの保育器は10個程度であったが、とても数が足らないとのことで、中には乳幼児用のベッドにケースを被せて改造を施すという苦肉の策が講じられていたものもあった。とにかく、出産数が多いため産科医、小児科医は常にきりきり舞いを迫られるのが現状である。

 小児科の外来で印象に残ったのは、週に1回行われている小児発達外来である。この外来では、ADHD自閉症アスペルガー症候群などの発達に問題を抱えている、もしくは何らかの発達障害が疑われる子ども達とその保護者が通院する。こうした、子どもたちは概して非常に活発的であるが、発達期になっても言葉をなかなか話そうとしなかったり、両親であってもコミュニケーションが困難であったりする。小児科医の話では、こうした子どもは、学校でも教師や他の生徒から、疎外されたりいじめられたりすることが多く、保護者も我が子の将来を悲観しがちであるという。地方ということもあって、特殊学級のある学校も少ないため、病院が唯一の拠り所になっているようである。近年、タイ人だけでなくビルマ人もこうした問題を抱える子どもが増えており、小児発達外来の需要は増している。こうした背景には様々な要因があると考えられるが、ある小児科医は、「親がスマートフォンタブレットのとりこになって、子どもと密なコミュニケーションをしようとしないこともまた、子どもの発達を妨げる大きな問題である」と、述べている。

 

・タイの医療制度について

 タイでは、2001年、タクシン政権が低所得者向け医療制度と地域保健医療の拡充を目的として,いわゆる 30 バーツ医療制度を導入した。同制度下で患者は,1回の通院ごとに 30 バーツのみを支払えばよい(30バーツは日本円で約100円に相当する)。またタイ在住の移民は,住民登録をする際、健康診断を受け(診察料 600 バーツ),健康保険料 1,300 バーツを支払えば,健康保険証が交付され,30バーツ医療制度に加入できる。本研修中に、このビルマ人の住民登録を見学する機会を得たが、ほぼラノーンでは毎日のようにどこかの集会所や室内運動場で、軍、地方自治体、政府、医療従事者が移民登録に立ち会うようになっている。健康診断の際には、結核などの感染症の抗体検査も行われていた。健康保険証をもつビルマ人妊婦の場合、7,000~8,000バーツ(帝王切開は 15,000 バーツ)の出産費用を 30 バーツで済ませることができる。これはHIV/AIDSや結核などの外来でも全て同じである。

 病院の医師らが往診で出かける、プライマリーケアのクリニックでも、同様に30バーツで治療が受けられる。見学した限りでは、主に高齢者が多く、肥満や高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病の患者が多数来院していた。ラノーンのクリニックでは、タイ人医師以外にも、ビルマ人医師が働いている。ビルマ人医師は、ミャンマー政府が認めた医師免許を保持しているが、本来タイ国内で医療行為を行うことができないため毎年特例での医業許可を得ているという。ビルマ語を自由に扱える医師はここラノーンでは非常に需要が高く、クリニックへの患者も絶えないのであるが、彼らの給与はミャンマー政府ではなく、ラノーン病院の予算から支給されている。とはいえ、ラノーン病院はタイ国立であり、予算配分はタイ人医師数に準じて行われているので、ビルマ人医師の給与は病院関係者にとっても悩ましい問題である。

 

・タイの医学教育について

 ラノーン病院では、大学を卒業したばかりのインターンの医師が多く働いている。本研修中に見かけたインターン医師は10人ほどであった。彼らから聞いた話、およびバンコクラノーンの医師への質問から浮かび上がったタイの医学教育について簡単に記しておきたい。

 タイの医学教育は6年であり、ほとんどが18歳からストレートに進学、国家試験を経て卒業し、その2年間政府の指定病院でインターンとして前期研修を行う。学部教育では、1、2年は全て座学、3、4年では座学と病院実習が半分ずつ、5、6年では全て病院実習であるという。5、6年になると、採血、問診や便検査、グラム染色、診断と治療の見立てなど、日本の初期研修医の仕事に近い内容を実習で行うという。

 タイの医師、医学生は特に若い人であるほど、英語に堪能であるが、学部教育の段階から英語の教科書を使い、実習でのカンファレンスや症例報告でも英語での教育が行われている。実際に本研修中に、インターン医師が上級医へ英語で経過報告を行ったり、また臨床推論をプレゼンテーションしていたりする場面を目撃した。日本では学術の翻訳文化によって、日本語で医学を学ぶことができるが、タイではそうではないため英語に通ずることが必須となっている。医師、医学生が英語を学ぶモチベーションも、タイと日本では大きく異なっていることを実感した。

 

5.本研修の総括

 熱帯医学研修プログラムを通じて、非西欧圏での初の海外生活経験、また初の海外での学習経験を得られたことは非常に貴重なものとなった。総括として本研修を要約すれば、—第一に、熱帯医学というトピックが今や全世界的なものであり、マラリアデング熱といった熱帯病を学ぶことは将来日本で医療活動を行う上でも有益であったこと。第二に、外国の医療現場で実際に学んだことで、医療の多様性や、国際保健活動、公衆衛生への理解が深まったこと。第三に、他の研修参加者、およびタイでの大学スタッフ、医師、インターン医師らと交流を持ったことで、今後も積極的に国内外に学びの場を拡げていく大きな動機付けとなったこと—である。

 

 6.謝辞

 本研修は、学生海外留学助成制度に基づき、学術振興講演資金への寄付金を利用させていただきました。本制度の寄付者の方、ならびに関係者のみなさまに厚く御礼申し上げます。

 

(参考文献)

藤田幸一ら(2013).タイにおけるミャンマー人移民労働者の実態と問題の構図―南タイ・ラノーンの事例から― 東南アジア研究 50,194−198.