自背録(4)−Holiday Junky−

みなさん、今晩は。

雨は中々降り止みませんが、過ごし易い日々が続いてますね。

 

この雨の谷間の奇跡的な週末が、模試なんかなければ、受験なんかなければ

昼下がりに鴨川の川べりで通俗小説を枕にしたり、

京都御所で腕白小僧とサッカーやキャッチボールの相手とか、

どこぞの女史と祇園の方で甘味処巡りなど

大いにしたいんですが残念です(苦笑)

 

最高に有意義な週末、最高に優雅な週末、

それを堪能している皆さん本当に羨ましい限りです。

 

くれぐれも帰宅してからサザエさんを見ぬように。

それから月曜日というものは月曜になってから考えればよろしいと思います。

休日は休日しかないのですからね。

 

さて、僕の方でもこの前のようなヘンなものを書くと

反響があると嬉しいもので、これからも日記というものを書く意力も湧いて来ます。

これからはしばしば思っていることを思っているままに書いていこうと思います。

昔の日記のように感傷に浸るのでもなく、さりとて誇張気味の調子は捨て去る積もりもなく、

ごくごく有体に続けたいと思います。

 

 

さて、最近の皆さんの日記を伺っていると、

「休日の過ごし方」が結構個性があって面白いと思っていたので、

これを一つ俎上に上げたいと思った次第。

そういえば、震災の影響で各企業の休日が増える可能性もありますね。

 

 

現在はとある地方都市で社会人生活を送る大学時代の友人は、

休日は家事や日常の整理に追われていて変化が乏しいのを上司にこぼしたところ、

「自転車で遠出でもしないのか?」と言われて、即実行に移したとのこと。

思っていたより目的が遠く、非常な徒労に終わったものの、

日記では何かしらの充実感が窺えます。

肉体の活動が鈍磨していた精神をinspireさせる良い例ですね。

 

また別の高校時代の友人は、ネット上で知り合った同好の志と、

カラオケや飲み会を企画し、初対面にもかかわらず大いに杯を重ねたとのこと。

これは私もよくやる楽しい遊び。

mixitwitterFacebookなどソーシャルメディアが流行してからオフ会の敷居は大変下がりました。

当初から利害関係のない絡みなので、純粋な友情にも発展しやすいです。

 

そんなふうに休日は有意義に過ごそうと思えば過ごせますし、

寝てしまったり、ネットサーフィンをやっていればあっという間です。

僕の場合は、積読の書籍を消化しようと思っていたら、

遊んでしまって、結局積読のまま、ということしばしばでしたが。

 

 

しかし、皆さん。ちょっとお待ちを。

 

休日とは、果たして有意義に過ごさなければならないのでしょうか?

そんな休日というものの過ごし方は、自由なようでいて、

実は大変不自由に困るということも少なくないではありませんか?

 

僕自身、何処かで稼ぐ生活を送っていれば、たぶん仕事に疲れていなくても、

週末に余暇活動に没頭できるほどの

エネルギーの貯蓄は学生時代ほどではないでしょう。

余暇を楽しみに仕事をするほどのめり込んでいたとしても、

いざ休日が到来したら、どのように実行に移そうかという

プランをあれこれ思案していた程度には、実際の休日は大変儚いものでしょう、飽くまで予想、NEETの戯言ですけどね。。

 

 

ここで、敢えて言いましょう、

休日をアテにして頑張っている人は幸いなことに、

そしてまた残念なことに

「事前にその休日を日常の中で消化してしまっている」のだ、と。

 

それは厳密な意味で休日ではない。

 

 

日記帳を「あれも、これも」と埋め尽くし、

「休日こそは汝、○○をすべし」と己の行動基準を企図する。

先取りされた経験が、「わたしをして、わたしに命令を下す」のですから、

わたしは、過去のわたしに命じられて動いているにすぎないわけです。

それは「既に起こってしまっている出来事」です。

 

どんなに待ち焦がれていた初デートであっても、

家族サービスの温泉旅行であっても、

そのようなイヴェントは先のことであってももうわたしの中で

「終わった」出来事です。

どのような手筈で出来事が進行するかを考えるので、頭が一杯になっているとしたら、 それはたぶん、

わたしの貴重な休日が紛れもない「平日」になりつつある証拠でしょう。

 

僕は、予定のある休日は休日ではなくて、

「特別な仕事」を要求される日ではないかと思うのです。

特別な仕事、というのは何も難しい仕事ではなく、

まあ「プライヴェートを幾分か充実させたくなるような仕事」です。

そんな特別な仕事は、わくわくするものですし、普段は発揮できない自分の能力、機会を試したくなります。

いきおい、スポーツとか、デートとか音楽鑑賞とか飲み会とか、自己投資のための勉強とか特別なエネルギーを要する仕事に没頭すること出来ます。

 

このような「特別な仕事」に精を出すことができれば、

非日常=ハレの世界が延長拡大します。

ハレの世界を引き伸ばすことで、

日常=ケの世界を他者に支配されるものではなくて、

その中で自分がいきいきと生活しているという実感を

多少なりとも得られるのかもしれません。

 

しかし、お祭りは終わるのです。

どうあがいてもあの恨めしい月曜日は必ずやってきます。

ハレの世界からケの世界へと引き戻されます。

結局、どこまで行っても圧倒的に日々の仕事に忙殺される日常に、人生の大半を奪われるのです。

 

いったい、本当に「特別な仕事」はハレの世界=非日常を引き延ばしてくれるでしょうか?

予定でいっぱいのケの世界=日常こそがハレの世界を覆い尽くそうとしていないでしょうか?

休日も平日も、快/苦という次元のみで分けられ、

どちらも、こなすべき仕事に忙殺されていないでしょうか?

 

 

真正の「休日」などというものはあるのでしょうか。

 

 

簡単。ひとつぎくりとされる指摘をしましょう。

 

忙しいわたし達が恐れおののき、避けがたい苦しみと嫌悪を催すことのある、

あの、「全く予定のない、何もすることない休日」です。

 

ひねもす朝から晩まで、何をすることも思い浮かばず、

誰とも出会う予定もないあの、忌々しい無意義で単調な休日。

普段はそんなこと滅多に思わないのに、 明日も仕事だったらいいのに、という言葉が思わず喉元からこみ上げてくる真っ白な空白。

一日寝ていても、勝手に過ぎてしまう、無駄の極み。

暇だ、退屈だ、することがない、なんでこんなに一日が長いのか、

いい加減早く終わってしまえ…

 

 

さて、そんな日が明日だったとしたらどうしたらいいのでしょう?

いったいわたしは何をしたらこの哀しい孤独を紛らわすことをできるのでしょう?

すぐさま傍らのケータイで誰かに連絡を取りましょうか?

それともPCを開いてソーシャルメディア上で誰彼かまわず絡みましょうか?

あるいは掃除やら洗濯やら料理やら家事に専念しましょうか?

 

いえいえ、特別な仕事を事前にわざわざつくるのは止しましょう。

休日に作った特別な仕事を虚しくさせる、あのサザエさん的発想から抜け出すには、 たぶんこれ以上、新しい「特別な仕事」を頑張らないことです。

休日を真に休日らしく過ごすには、頑張るのはいよいよ諦めた方がよいのです。

仕事から解放されましょう。

くどいようですが、何であれ仕事に束縛、翻弄されるのは休日ではないのです。

 

 

来るべき恐怖の休日が来るのを、首を洗って待っていましょう。

しかるべくしてやってきたら、

そのときの「気分」と「思いつき」で動いてみましょう。

その時々の、わたしのなかのニュアンスの変化を愉しむのです。

「何も考えない」からこそできる究極の当てずっぽうで、

その一日を真剣に生きるのです。

 

難しいでしょうか? 

具体的に何をすればいいでしょうか?

 

 

…それを僕が書いてしまうと、また皆さんに

特別な仕事の観念を予め押し付けそうですからちょっとだけ。

 

 

家の中では急に古いアルバムを取り出して眺めたり、

普段は絶対に見ないくだらないテレビや映画、漫画を手当たり次第に見たり、

いきなり裸になって姿見でポージングしてみたり、

大笑いと大泣きの練習をやってみたり、

昔の恋人に突然電話をかけて「昨日の晩御飯何食べた?」と屈託なく尋ねたり、

外にふらっとでかけて、道端のタンポポに「お早う」と言って見たり、

一人カラオケで完全燃焼するまで歌ったり、

路上詩人と愛について熱い議論を交わしたり、

喫茶店のマスターと政治談義にふけったり、好きにしたらいいのです。

 

そんなに突飛なことばかりでなくても、一日中ぼおっとしているなかにも、

妄想を逞しくさせるだけでひとり遊びに興じることはできます。

無駄に明日自分が死ぬとしたら、今どうするかと思考実験したり、

万一に備えて遺書したためたり、親しい人にわざわざ手紙を書いてみたり…

 

できれば不安に駆られながらもあらゆる思い付きを試すといいかもしれません。

 

いろいろやってくるうちに、段々休日が休日らしくなってくるでしょう。

取り留めのない行動や思考を実践しているうちに、

仕事で埋め尽くされる「終わりなき日常」から、逃れられる自分なりの手立てが、思いもよらないところから降ってくるかもしれません。

そんなあなただけの休日の過ごし方を見つけたら、

誰にも言わず、とても大事になさって下さい。

 

 

わたしの、わたしによる、わたしのための休日。

四畳半でも、大都会の真ん中でも、脳髄でも手足でも、

己の欲するところに流れていくまま身を委ねてみる休日。

 

全てに失敗し、充実感に乏しい、試行錯誤の休日かもしれませんが、

その価値を保証するのはわたしであって、

わたし以外に貴い権利を譲り渡すことは決して出来ません。

 

わたしはわたしの休日を、自分の全存在を担保にして、自由気ままに賭けているのですから。

真にholidayであるからこそ、真に俗=ケが聖=ハレに昇華するのですから。

 

 

さて皆さん、次の休日はいったい何をなさるおつもりでしょうか?

 

 

自背録(3) ー「ダメ人間」の条件ー

政治哲学者ハンナ・アーレントによれば、

「人間の条件」の基本的要素となる活動力は以下の三つのカテゴリーに分けられるという。

 

1.     労働(labor):人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力

 

2.仕事(work):人間存在の非自然性に対応する活動力。

        生命を超えて永続する「世界」を作り出す。

 

3.活動(action):モノないし事柄の介入なしに

         直接人とのあいだで行われる唯一の活動力。

         多数の人間の間で生きること。

 

では、「ダメ人間」ならばどうだろう?

「ダメ人間」の定義という問題がここで頭を悩ませるが、

ここでは単にアーレントのいう「人間」の概念の逆を考えよう。

すなわち彼女によれば、

 

 

人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。いいかえると、人間とは、自然のものであれ人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。

(H.アーレント『人間の条件』)

 

 

これを換骨奪胎すると、

ダメ人間の条件とは以下のようになるだろう。

 

「ダメ人間の条件は、ダメ人間が条件づけられた存在であるという点にある。いいかえると、ダメ人間とは、自然のものであれ人工的なものであれ、すべてのものを自己の破滅の条件にするように条件づけられた存在である」

 

 

「すべてのものを自己の破滅の条件にするように条件付けられた存在」

とは、何と身も蓋もない存在だろう。

 

ニートとかヒモとか放蕩暮らしとかならまだかわいいものだ。

勉強もしないで毎日ゲーセンで遊んでいる万年浪人生とか、

酒と女とギャンブルで借金付まみれ。家族からも愛想をつかされた中年男性とか、そんなのは「ダメ人間の条件」を考える参考にもならない。

彼らは真の「ダメ人間」には遠く及ばないのだ。

 

「真のダメ人間」ならば、自らが与えられた条件すべてを

無に等しいまで、徹底的に棄却せねばならない

 

徹底的に自己破滅すること、昨日までの自分、

いや一分一秒前での自分をあっさり殺さなければならない。

物質的・経済的に破滅するには、金銭がなくなれば、

ある意味そこで終わり、ゲーム・オーバーだが、

精神上はまだまだ上部で復活、成り上がりを諦めてないことが多い。

 

人間精神というやつは意外に図太くて、

七転び八起きというか、世間的に成功した人の中には、

文字通り「ゼロからの出発」を何度も経験した人は少なくない。

私なども、現役時代、受験した大学には全て蹴られたのだった。、

(志望校以外に受かってもこっちが「蹴ってやる」積りだったのだが)

 

高校生の時分などというのはまあ、

あまり思い出したくないことも多く、

学校も行かず、部活も行かず、塾も行かず、

もちろん勉強にも娯楽にも身を費やさずに一日の大半を寝て過ごす、 などということが少なからずあり、 自ら「ダメ人間」を自覚していた。

本当にクズな生き方をしていた。

 

まあその頃も「クソおもんない学校でたら、クズな俺でも浪人して勉強するやろ」 とか「やれば出来る子やねんな、自分」

など、根拠なき誇大妄想と、虚栄の中の虚栄を心底に抱いてはいた。

要するに、「ダメ人間」などと認定しておきながら、

まだその中にどうしようもない「救いよう」を見出しているのである。

そんな輩が「ダメ人間」と名乗って良いものか?

 

かつての私がそうだったように、「ダメ人間ですから」

などと言い訳を講じる人間は、まだ救いようがある。

自分で自分にアピールせずにはいられないのほど、

彼の中の自尊心はまだ爪の垢ほどは生きているのだから。

 

人から蔑まれる「ダメ人間」もまだ救われている。

だって、まだ「人間」扱いされているのだから。

 

どんな怠惰や不道徳を働いても、彼にはまだ「人間」たる余地がある。

獄につながれようが、断罪されようが、

それは彼が「人間」だからに他ならない。 どこまでいっても「人間」から逃れられない人は真にダメ人間ではない。

 

そうなると、ダメ人間は世捨て人、ということになるだろうか、

世捨て人は「真のダメ人間」たることを志向する点では大いに評価するけれど、

それでも、彼はいまだ「ダメ人間」になりきれていないから、

ある意味で可哀想な人種である。

やはり彼も人の子である以上どこかで、捨てた「世」がついて回り、

彼の人情の残滓を幾ばくか刺激しているかと思うと、 同情を禁じえない。

ダメさ加減がなまじ不徹底だから、周囲に期待を寄せられてしまう。

 ダメ人間になりたくて、堕落の道を選んだのに、

それなのに… 嗚呼可哀想、可哀想。

 

「ダメ人間、徹底的な堕落者は、きっとどこかにいるのだ」という思い込みが、

反面、私たちをして「救いよう」のある者にさせるのである。

いや、「救いよう」のある者だからこそ、

徹底的な堕落が不可能なのではないか。

 

重力に抗えずに人間は高所から低所から簡単に「落ちる」けども、

精神的に「堕ちる」ことは本当に難しい。「堕ちる」先はまったく見えない。

見えないということはこの上ない恐怖である。

「救いよう」ある者は、墜ちながら眼を背けずに着地点を見てしまう。

頭から真っ直ぐ墜ちて死ぬような莫迦、すなわち真のダメ人間には決して成り切れないのである。

 

人間精神は、墜ちるところまで堕ちた先の先に、

お釈迦様の垂らしてくれた蜘蛛の糸がぶら下がってしまうと思ってしまう。

だから、彼は真のダメ人間にはいつまでも経ってもなれない。

それは哀しいことである。

自分のダメさ加減をよくよく解っていた人が、

そんな自分に救いを求めるしかないと気づいて、

赤ん坊のように 泣きじゃくる瞬間が、この上なく哀しい。

もうこうなれば、結局自分に「救いよう」があるのだと諦めるしかないのである。

 哀しいけれども、そういう諦念をもってダメになる「振りをする」しかない。

これは、正常な理性の恩寵である。

 

感謝したまえ、自称ダメ人間の諸君。

諸君らはすでにダメ人間と自覚したときから救われているのである

 

諦めてしまえば「ダメ人間」もちょっとは「人間」より賢くなるだろう。

そうやって、そうやって、自称ダメ人間は自分のダメさを

勝手に崇拝する途を忸怩たる思いで選ぶのだ。

 

 

そこで、私は安吾が『堕落論』で

言いたかったことが何となく分かったような気がして、

「なあんだ、そんなことか」ととちょっとがっかりしつつ、

「堕ちよ、堕ちよ」という彼の議論に便乗したくなるのである。

 

 

 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

坂口安吾『堕落論』)

 

 

 

戦後60年経とうが、どこまでいっても堕ちるところまで堕ちきれないわれわれの哀しさ、惨めさはどうしようもない。

 

「堕ちよ、さらば救われん」

そう言い切る安吾に値するダメ人間は、いったいどれくらいいるだろうか。

結局、救われることばかり考えてしまって、

真剣に堕ちることなどできていないのではないか。

それなら、さっさと自称ダメ人間から真人間へとジョブチェンジするがよい。

退路は断つなら早いほうがよい。

 

二十歳を過ぎたばかりの私にとって、

もう後戻りは出来ない時期がすぐそこにやってきている…

自背録(2) ―教わる者の傲慢、教える者の傲慢ー

某大学での会話。

または、某電車内でのお喋り。

あるいは、某SNS上でのコメント、ツィート。

もしくは、

 

 

 

「私が教えている中学の子は、何を言っても物分りが悪い。

 九九さえまともにこなさせないのよ…これだから底辺校の子は。。」

 

「あの教え子は、同じことを何度も注意しているのにいつも、

 類題を出したら間違える。成績を伸ばしてくれと言ってもねえ…

 ぶっちゃけ時給いいから、適当に教えてたらいいんだけどさw」

 

「『先生、今日やる気ないでしょ?』

 ‥いや、いつもの君よりはマシやってw

 せめて君と違って先生は予習してるんやから」

 

 

あるいは、こんな声。

 

 

「あの教官の説明ときたら、やたらに高圧的で、上から目線で、

 その癖学生を買いかぶっていて、全く手を抜いてばかりいる」

 

「口は出せども単位は出さない。課題は出せども評価はしない。

 テスト前にポイントも教えてくれない。

 授業もつまんねえから、もう来週から行く気がしないよ」

 

「研究だけがしたくて、教育を考える気があるのかね…

 給料ドロボーも甚だしいのでは?」

 

 

 

無知を軽蔑して教える者は、教わるものに同じくらい軽蔑される。

 

いったい「わからない」ものを、

「わからない」と正直に打ち明けて教えてもらった者だけが、

その告白がどれだけの恥辱であるかを知っている。

 

 

 

ある、「彼」の話。

 

 

彼は、簡単な公理や定理からの演繹がうまくやれず、

具体例から帰納的に物事の道理を導くことに不得手である。

マイナスとマイナスをかければプラスになるとか、

物質が化学変化を起こすということとか、

日常言語の中の文法事項というものがなかなか理解しづらい。

他のひとにとって当たり前のことが彼にとっては

当たり前には思えないのである。

学習する度に「なぜ?」を連発して無限に遡行していく。

幼児ならまだしも、思春期の少年である。

本当に人に聞くのも恥かしいことに、

漢字とか計算とかちょっとしたことから、

世の中の決まりごととかも、全然他人より知らない。

 

 

皆彼がバカだと思っているし、彼自身自分はバカだと思っている。

そしてバカだから、勉強が出来ないと思っている。

勉強が出来ないから、勉強は好きじゃない。

誰かに教えてもらうたびに恥をかかなければいけないし、

もう勉強なんてしたくない。

 

 

でも、分からないものは分からないのだ。

それでバカと言われたら開き直るしかない。

バカでダメ?なぜそれではダメなの?

 

ちょっとくらいバカなだけで…

(彼自信は自分ではひとより

「ちょっとだけバカ」という自覚がある)

確かに、親や先生や塾講師、家庭教師の学生はいらいらするけど…

 

 

 

 

あの「出来のいい」、「要領のいい」人間たちは、頼んでもいないのに

さもありなんのしたり顔で登場し、知識をばら撒きだす。

そいつらにとって教える内容など全く問題ではない。

その方面には非常に精通していなくても、それなりの薄っぺらな知識だけはあるからだ。

自分でもよく分かっていないことを、いともあっさりと解説してしまい、

そのあとで彼を質問攻めにする。

 

「まだ何か分からないところはある? 遠慮せずに言ってごらん」

 

すると彼は一層卑屈になってしまう。

また、いったん彼の顔に恥辱が垣間見えるやいなや、

その中途半端な物知り人間は、ますます調子に乗って長冗舌を繰り広げる。

自分には「分かっている」ことだけを、教えたがるその輩は、

本当は分らないことでも、誤魔化して教えようとする。

それが、連中お得意の「要領のよさ」であり、

奴らなりの彼に対する「親切心」なのだ。

そうやって欺瞞を、何のためらいもなく彼にプレゼントするのである

 

しかし、彼がどうしても分らないようであると、

連中の顔は次第に曇りがちで忌々しげになってきて、

とうとう彼に「分かったふり」を強いるのである。

(それでも、決して怒りはしない、軽蔑してはいても

 飽くまで表面では冷静を取り繕うのだ)

 

それでいてうまくいけばしめたもの。

彼がその気になれば「分かる」ものだと、計算高く踏んでいるからだ。

彼の恥辱を巧く覆して、勝手に傲慢にさせて知的快感をくすぐってやろう。

そうしてやれば、分かっていようがいまうが関係ない。

自分は時給に見合う仕事をすれば良い。

顧客にもそうやっていい思いを吹き込めば良いと、

最近読んだビジネス書にも書いてあった。

Win-Winの関係?そんなもの騙し合いだろう?

頭の悪い生徒や客にいちいち付き合っていたら、自分まで頭が悪くなりそうだよw

 

 

「どう?先生、これで合ってるよね?僕もやればできる子だよ。

 テストなんて楽勝楽勝。先生の言ったとおり、出そうなところを

 ちょっと暗記しておけば、なんかよく分からなくてもできるし。

 適当に頑張ればまあなんとかなるっしょ!」

 

もう彼は恥かしくない。

彼は「分からない」ことを諦め、考えることを放棄した。

次から次へと溢れる疑問に終止符を打ち、

人並みの記憶力だけに頼るようになった。

本も読まず、授業も聞かず、分からないことは人任せにし、

教科書と参考書のミニマムな記述だけを覚えることにした。

学校の勉強は、思考停止すれば簡単だったのだ。

 

恐らく彼は、これから「要領のよさ」を身に付けていくだろう。

そして、あの連中の仲間入りを果たすだろう…

こうして、知的な傲慢さと欺瞞が再生産されていくのである。

 

 

 

いったい、教える者が傲慢に陥らないためにはどうすればよいのか?

人にものを教えることで謙虚さを失わずにいるのは不可能なのか?

 

 

 

教わる者の「分からない」苦しみ、その苦しみを悟ったら、

教える者は自分の最も苦手とすることを思い出せ。

 

苦手な人達との強制的な交際。

嫌いな食べ物の克服。

反対の主義主張への理解。

負けを認めて、勝者の靴を舐めること。

失恋、非難、暴力、失敗、裏切り…

そうした数々の屈辱的な出来事。

 

無知は全く恥ではないとしても、

そうは簡単に口に出してはならない。

彼の不名誉に気安く触れてはならない。

気軽に「先生」と呼ばれても、少しでも尊大な気持ちが

生まれたら決して見逃してはならない。

 

傲慢な先生から教わった子は傲慢になるだろう。

謙虚な先生から教わった子は謙虚さを学ぶであろう。

 

教わる者は、謙虚であれ。

教える者は、もっと謙虚であれ。

 

 

自背録(1)−恥について−

恥。

 

大いに恥じた経験は、後になって思い返してみると、

それほど大した後悔の念を催さない。

むしろ、その記憶は若干の苦笑が伴うことがしばしばだ。

それはつまり、我々が何らかの形で自分がかいた恥を

肯定的にとらえたい、という思いなしがあることに他ならないのではないか。

 

一方で我々は恥を大いに畏れる。

ことあるごとに前もって、恥をかかないかにひどく執心する。

その必死さは、自分以外の他者のどんなに穿った邪推にも及ばない。

いかにして恥をかかずに当座を凌げるか。

それが世間との交渉での大前提になっているからだ。

そのために、あらゆる労苦、金銭、時間を惜しまぬ者は驚くほど多い。

彼らにとって―いや「彼ら」ということのできない私にとっても―

たかが恥、されど恥である。

      

        せいぜい自分に恥をかかせたらよいだろう。 
        恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。 
        自分を大事にする時などもうないのだ。 
        めいめいの一生は短い。 
        君の人生はもう終りに近づいているのに、 
        君は自己に対しては尊敬をはらわず、 
        君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。 
      

        (マルクス・アウレリーウス『自省録』) 
             

 

しかし、私は恥をかくのを畏れないことなどできぬ。

恥はやはり怖ろしいものだ。

当面、この恥に悩まされてきた身とあって、

これからも恥を回避して通るのはもはや不可能だと思われる。

今更、強靭な自己意識を涵養しようという気概もない。

俗世にある限り、この煩悩とはこれからもお付き合い頂くことになろう。

ただし、私にも一つの信条として、あるいは私の性向からして、

「恥をかいたことは、それ以上恥ととらえない」という立場をとっている。

それは上述した通り、恥を肯定したい欲望にたいする、

私の都合勝手な算段であるともに、万一恥をかいた後悔という

ぬかるみにはまって、身動きができなくなる前に、

恥を滑稽に転化させようと目論む楽観主義的態度、

あるいはシニシズムである。

 

よくよく考えてみれば、恥というものは、

その時かいた恥だけが恥であるから、後からかく必要はない。

そうはいっても、そのときかいた恥は何時までたっても

恥かしいということがよくある。

(特に、異性関係の場合が指摘されよう)

そんな時、私は思い切って他の者に開陳してみる。

他の者は笑う、大いに笑う。

私も最初は困惑しつつ、笑う。そして次第に相手に増して大いに笑う。

後に私はそれが、笑うべきものであったことに気付き、はっとする。

なぜなら恥は、本来滑稽の一つの形式なのだからである。

であれば、それを大いに活用しようではないか。

 

己の恥を笑えることができれば、恥の軽視に繋がる。

私は恥の後悔という苦痛から、それだけ救われる。

かといって、その場における恥の情念を一切棄ててしまうことはできない。

もちろん、私が言いたいのは「恥知らず」になることでもない。

飽くまでも「恥の経験」に対する軽視である。

恥を畏れつつ、恥を軽んずるという態度。

それは慎重さ(あるいは弱気)と大胆さ(あるいは無神経)

という相反する気質を要求する。

「恥を畏れるな、しかし恥はなるべくかくな」

とは、一見困難な命題であるが、己の恥を笑うことを心がければ、

世間での実践には事欠かない。

しかし、ここでまた自らに力説すべきなのは、

己の恥に対する笑いは、自己卑下による嘲笑ととるべきでない、

ということである。

「恥(の経験)の軽視」を笑いによって実践しようという格率は、

一見奇妙であり、ナンセンスではあるが、

それ自体の滑稽さは、なんら否定的されるべきものではないのである。

なぜなら、私は己の恥を笑うことによって、

いささか自虐的ではあるが、全き快楽の形式を追求することになるからだ。その快楽は、何ら私の自尊心を傷つけるということもない。

むしろ、私はその滑稽さに感謝し、己の恥を笑いへと

導くことを決断した私の理性に、尊崇の念さえ抱こう。

 

かくして、私は己の恥はその場では恥じるべく大いに恥じ、

一旦恥を得たならば、後は笑うべくして、大いに笑おうではないか、

と思うに至った。

さすれば、かの哲人皇帝にあやかって、

世間で恥を経験したとしても、いずれそのようなものには何ら左右されず、

不動の精神でもって自己の糧にしてしまうことも可能ではないだろうか。

いや、そんなことを口に出して言うのは余りにも恥かしいから、

これ以上図に乗るは止しておこう。

口は災いの元、すなわち恥の元である。

 

とはいえ、人生とは旅であり「旅の恥は掻き捨て」であるとすれば、

畢竟、「人生の恥は掻き捨て」なのである。

 


(「自背録」は、読んで字の如く、「自らに背く」ことを 
 コンセプトにしてます。不定期掲載の予定)

失われた6年間を求めて

こんばんは。

一週間に一度以上はブログ更新したいと思っていたのに、

日常に追われていると決意も鈍ります…

 

6年前に初めて大学生になったときは、毎日のようにくだらない雑文を書いていたのですが、妙にここ最近は長い独白は億劫になりました。

世間並みの羞恥心を身に付けて、面白くない人間に成り下がってしまったのかもしれませんね笑

 

さて、ネタ切れの感は毎回否めないのですが、6年前に自分の思考回路はどうだったのか?と急に探求したくなって、色々と探していましたら、イタイ散文ばかり出てきました…

 

今となっては、恥の上塗り、汗顔の至りなのですが、眺め返してみると若かりし頃の自分というのは、本当に自意識が今以上に過剰だったんだなと思います。

人一倍劣等感が強く、孤高を気取りながらも周囲の目は常に意識し、

挫折や失恋、諍いの度に気持ちの悪いほど自意識が肥大化していく…

そして、それを日記で公開して露悪に走るという愚を繰り返していました。

 

そんな昔の自分は、紛れもなく「中2病」をこじらせた立派な「大2病」患者だったんでしょう。

今から思えば、忘れたいような記憶にも日記を読み返すとぶり返して若干困惑を覚えます。自分でいて、自分でない人間がそこにいるからです。

 

暴走する感情を、覚え立ての生半可なロゴス(言葉、論理)で飼い慣らそうとする愚か者、分からないものを分かったふりをしてさもありなんな顔でやり過ごそうとする欺瞞、人からよく見えたいがためにリップサービスで興に乗るピエロ…その醜悪さには閉口してしまいます。

 

嘘はつけませんが、嘘にしてしまいたい過去というのは誰でもあるでしょう…

若さというのは過ちを許容してしまうものかもしれません。

けれども、決して拭いきれない痕跡をその人に植え付けてもしまいます。

 

今二度目の大学生活を送っていますが、自分より7、8歳若い周りの人々を見ていると、

「ああ、彼らもそういう時期なのかなあ」とふと、「斜めから目線」で考えてしまうことがあります。

それは、あまり良くないことでしょうけれど、昔の自分をもしかしたら再発見して安心したいのかもしれません。

 

「自分はきっと特別な存在で、ひとからは特別な配慮を払ってもらいたい…」

 

そう考えていただけなのに、勝手に傷ついて勝手に癒やしを求めていたのが

あの頃の思考回路であり、行動様式の特徴でした。

(今も大して変わってないかも?)

 

今再び、幸運にも若い人たちと語らう機会を持つことができると、

昔自分が経験した「嵐の時代」を思い出すことも、それなりに意味のあることだと思われます。

説教なんてしたくはないですが、自分に向き合い、他者に向き合うためには

まず過去の自分を直視する仕事から始めるのが手っ取り早いでしょう。

それは「自己分析」などという軽薄なものでなく、過去の記憶を手がかりに

それを現在において再構成する物語を紡いでいくことです。

 

人生のいかなる期間においても、ひたすら走り抜けることのできる人と、

立ち止まって回顧しなければ前に進めない人がいます。

別に過去を振り返ったところで、生産的な活動には直接結びつきませんし、

下手をすれば懐古主義に陥って、いつまでも過去を引きずりかねません。

けれども、人生のあるターニングポイントにおいてそれまでの身の振りを「決算」しておくことは、その先を見通す上での手がかりになるでしょう。

 

日記やブログの上の過去の自分はすでに他者化されていますが、

それを見返すことは、「他者となった自分」との対話でもあります。

その時に、新たな発見、温故知新が少なからずあります。

時計の針は戻すことが出来ませんが、

その当時の自分になりきってものを考えてみるというのは不可能ではありません。

 

「いったい、自分とは何者か?」という問いは、青年期特有の問題ではく、

一生涯、自分と他者から投げかけられるものです。

 

その時にどう答えていけばよいでしょうか?

アルバムをめくるように、過去に書いたものや話したものを振り返ることが

手がかりになるのです。

 

今、僕自身はそれを6年前に焦点を当てています。

あれからちっとも成長してもない気がするし、かえって頭は鈍くなったかもしれない。

友達は増えたかもしれないけれど、実はすごく少ないのかもしれない…

いろんな事が脳裏を過ぎります。

 

この6年で何が変わったのでしょうか?

 

というわけで、次回は当時の日記を振り返りたいと思います。

諦念としての「老い」

今日も過去の日記からインスピレーションを受けて書いてみました。

 

テーマは、「老い」についてです。

 

 

昨年四月の初旬に、僕は祖母を病院に見舞いました。 
70数年を生きてきた祖母は冬の終わりに足を腫らし、 
それが悪化したとのことで、一ヶ月ほど入院を余儀なくされていました。 
病状は深刻なものではなく、それも回復に向かっていたので、 
退院の一週間前ほどに家族で面会に参った次第です。 

丁度桜が満開から散り始める頃で、
僕は祖母を車椅子に押して病院の裏庭を散歩しました。 
旧陸軍病院なだけあって、見事なまでに雄々しい桜並木が丘に並んでいます。 
僕は歌で「桜」といえばコブクロでも福山雅治でもなく、 
「同期の桜」が思わず浮かんでくるので、60余年前に 
ここから桜を見た筈の兵隊さん達のことが脳裏を過ぎりました。 
病院で無念な死を迎えた方もいれば、ここを出て南洋の空に散った方もいるかもしれません。 
ここの桜を見たのが最後だった方も少なくないかもしれません。 
そういう余計な想像力を巡らしてしまうと、 
この僕と祖母が見た桜も感傷的な威力をもって迫ってきます。 


祖母も多分とても喜んでいたことでしょう、祖母もこの桜をきっと見たかった、 
いや、祖母は外に出たがっていたのです。外に出られたくても、 
出られないようにさせらていたからです。 

もしかしたら、桜を見るのは僕や家族と一緒じゃなくてもよかったかもしれない。 
隣の患者さんやナースやドクターでもよかったかもしれない。 
けれども、けれども、祖母はそういう「意志」をもはや明確に表すことが出来ないのです。 







この面会を経て、僕は一層、認知症という「病気」をとても憎く思いました。 
僕や、世間や、医学がそれを「病気」としてしか認識できなくなってしまうことが、憎いのです。 

祖母の足は大丈夫なのはよく分かりましたが、それよりよく分かったのは、 
数年来より進行していると聞いてきた「病状」のほうです。 
祖父からは以前より物忘れ、買い物依存、気分障害、妄想、徘徊等、 
祖母に現われた明らかな「異常行動」を聞かされてきました。 
最近は年に数度しか会わないので、そこまでひどいものか、と思っていましたが、 
面会をしてみると、何がどうあっても昔の面影はもうありません。 

確かに一応の簡単な会話はできるし、一緒に昔の童謡を歌ったりは出来ます。 
けれども、もはやその顔に表情がほとんど消え、能面さながらになりつつあるのに、 
僕は動揺を隠せませんでした。 
「おばあちゃん、僕が誰か分かる?」などと無邪気聞いてみる気にはとてもなりませんでした。 
(後日聞いてみると、一応ちゃんと分かっていた、とのこと) 

さらにショックだったのは、徘徊を阻止するために車椅子に付けられたベルトです。 
外に出られたくても出られないのはそのせいです。 
夜間ははさらに強く拘禁されているのでしょう。 
足の腫れがなかなか引かなかったのは多分そのせいかもしれません。 



帰り際に、無表情でこちらを見て手を振りながら 
その場でじっとしている祖母を見ていると、自然、目頭の辺りが熱くなりました… 


僕は結局、花見の相手しかしてあげられなかったのです。 
幼い頃あれだけ世話になった祖母に、今自分のどれほど記憶が残っているかどうか 
という利己的な不安にばかり囚われていました。 
そんなことを悩んだって今の祖母には何のためにもなりません。 
それを分かっていても、なお僕はまだ受け入れられなかったのです。 

祖母は退院後、自宅に戻ることはなく、そのまま専門のケア施設に入所しました。 
僕はまだ訪問していないのですが、そこで祖母は健康は保っているとのことです。 
しかしいずれは、人間の尊厳である排泄の問題もクリアでなくなるでしょう。 
あるいは、もう記憶も失われるだけ失われていくことでしょう。 
祖父も母もそして自分自身でさえも分からなくなることでしょう。 
この「病気」はとても深刻です。 
生きている限り、今の医学ではほとんど好転することはありません。。 









「健常な」僕はそれは「こわい」ことだと思ってしまいます。 
もし自分も老い先そうなったら、どうなってしまうのか。 

僕は小学校ぐらいの終わりまで父方の祖父と同居していましたが、 
晩年の数年の祖父はボケはしなかったものの、半寝たきり状態。 
そして嫁である母に辛く当たり、母は恐らくその影響を受けてノイローゼを発症しました。 
家庭内にはいつも重苦しい空気が漂っていたし、 
祖父は嫌いではなかったけれど、母を思うとあまり近寄れなかった。 
介護の方針を巡って家族や親戚で陰惨なやり取りも耳にしました。 

そんな中で物心をつけただけに、 
昔は自分も家族に迷惑をかけ、精神的負担・肉体的負担を強いてしまうのかと思うと、 
いっそのこと楢山節に出てくる姨捨山に自ら入りたくなると考えたくもなるし、 
あるいは毒杯を仰いでしまった方がマシではないかとも、考えていました。 




「人に迷惑をかけない限り自由に生きられる」 



という功利主義的な発想を裏返しに取ると、 
何も出来ない、人様に迷惑をかけて長生きするだけの醜い老いぼれは、 
経済的にも、社会的にも早く「死んで頂く」ほうが良いのでないか、 
という極論に達します。 

僕自身は自身の経験からこの議論をはっきり「間違っている」 
と否定しきれないので、苦しい。 
「人に迷惑をかけてまで長生きすることのメリットなんてあるのか?」 
と突き返されると、もっと苦しい。 


「老人を大切にする社会」というスローガン自体、 
このご時世ではむしろ反感を買ってしまうでしょう。 
世代間の格差はこれまで以上に拡大しています。 

長寿化という意味では文字通り、 
日本は恐らく最も「成熟」社会になりつつあります。 
その一方で社会は「成熟拒否」反応を示しているようにも思われます。 
長寿化、高齢化のスピードに、文明や文化が追い付いていないのかもしれません。 

いや、そんな大きな話ではないはず 

個人の中に蓄積される「老い」を考えるゆとりを喪ったのが現況なのではないか、と僕はひそかに思います。 

老いてゆくのは醜く、後ろめたく、陰惨なものになっている、下手したら「病気」扱い。 
だから「アンチエイジング」でケアの対象にしてしまう。 
赤瀬川源平が『老人力』書き、曽野綾子が『老いの才覚』を書いて啓蒙を試みても、 
老いるのはやはり忌み嫌われるでしょう。 

ゆっくりと老いることが出来る暮らし、老いることを愉しむ処世。 
肉体が磨耗していっても、精神を老練に老獪にする生き方。 
ボケるに任せ、己の耄碌を嘲笑い、来るべき死を前向きに覚悟して 
日常をつつがなく過ごすにはどうしたら良いのでしょうか。 
それもできるだけ人に迷惑をかけずに? 



僕もこの日記をここまで読んできた奇特な貴方も、 
いずれは恥かしいことまで人の厄介になるでしょう。 

来るべき時に、髪が抜け、歯が抜け、腹が突き出し、 
シミ・シワ・タルミで醜くなり、更年期障害で苦しんで、 
物忘れが酷くなり、排泄も困難になり、寝たきりになる、 
という余り喜ばしくない将来がやって来ます。 
たとえ健康であったとしても、何処かで人の手を煩わせることでしょう。 
愛する家族に疎まれ、同じ境遇の人間が集まる施設で、 
孤独な余生を過ごすという確率も低くないでしょう。 



では、そんな惨めな老いを悲観するべきでしょうか? 



僕は祖母を見舞った後に、深く実感しました。 

「迷惑をかけずに生きる」とか「自分らしく生きる」ということも、 
いずれは諦めないといけないときがくるということです。 
それは明日かもしれないし、60年後かもしれない。 

そこにいたるまでに諦めること、積極的に諦めることは 
難しいかもしれませんが、いろいろと仕事を投げ出さなければならない 
ときはいずれやってきます。そして最後の老い恥を晒して、 
惨めに横死することを観念するでしょう。 


それで、結構ではないかと思うのです。 

それは、結局「全ての死は犬死である」という言葉を受け入れることでは? 
しかも翻って「全ての生は無意味だ」というニヒリズムでは? 
と批判されるかもしれません。 
僕はそのどちらにも敢えて与しませんが、もちろんそうとらえられても仕方なく思います。 

「賢く諦めて老いる」という処世は、決してニヒリズムではないと抗弁しましょう。 
老いとはモノを失い、精神と肉体が滅びるまでの間、 
何ものかを見つける旅の始まりではないでしょうか。 
出来ることなら微笑みながら諦めて、来るべき最期を見つける修行を愉しみたいもの。 



そう思うと、僕は自らの60年後がやや愉しみです。 
たとえ祖母のようになっていたとしても、それも受け入れましょう。 
見るべきほどのことはすでに見たとしても、土に還るまで、 
ゆっくりと考えながら生きましょう。 
最期を迎える練習は出来れば長く取っておきましょう。 





「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、 
 自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、我々が短い一生に生まれついているうえ、 
我々に与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから。」(byセネカ) 

沈黙するとは別の仕方で、あるいは沈黙することの彼方へ

ようやくテストもひと段落着きました。

これから、ブログの方も本腰入れていきたいと思います。

 

「書く」という行為からしばらく遠ざかっていると、

自分の「スタイル」というものが見出せなくなります。

いま、書きたいことがあるのに、ことばの不在、自己の不在に苛まれます。

 

そんな時はどうするか?

 

…過去を思い出すしかないでしょう。

 

というわけで、過去の叙述の再検討を踏まえた上で書きました。

約一年前に書いた文章のお手直し。

 

 

 

 

 

 


鷲田清一『「聴く」ことの力』

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

を読み返していて、
ふと思い当たることが多々あったので、書いてみることにしました。

 

 

 

あるターミナル・ケア(終末期医療におけるケア)をめぐるアンケートについて。
(調査の対象集団は、医学生、看護学生、内科医、
 外科医、がん専門医、精神科医、看護師)



「わたしはもう、だめではないでしょうか?」



という末期ガン患者のことばにたいして、
あなたならどう答えますか、という問いです。
これに対して次のような5つの選択肢が立てられています。





(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。

(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。

(3)「どうしてそんな気持になるの」と聞き返す。

(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。

(5)「もうだめなんだ……と、そんな気がするんですね」と返す。







 

 

結果は、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)を、
看護師と看護学生の多くが(3)を、精神科医の多くが(5)を選んだ、といいます。
(中川米造『医療のクリニック』より)

単純なアンケートではありますが、これは実際その場で立たされていないと答えにくい、 とても難しい問題。
僕はどうだったか、いろいろ迷った挙げ句(5)に近いことばを「言うしかない」と思いました。

はたして、皆さんはどれを選ばれたでしょうか?
(5)は一見何の答えにもなっていないように見えますが、これは解答ではなく、

「患者のことばを確かにうけとめましたという応答」(中川米造)になっています。

<聴く>というのは、なにもしないで耳を傾けるという単に受動的な行為なのではない。
それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事である。
こうして、「患者は、口を開きはじめる。得体の知れない不安の実体が何なのか、聞き手の胸を借りながら捜し求める。
はっきりと表に出すことが出来れば、それで不安は解消できることが多いし、
もしそれができないとしても解決の手がかりは、はっきりつかめるものである」 『「聴く」ことの力』

 あらゆる対話の局面において答えないこと、あるいは黙っていることは、
ひどく難しいことだ、と僕は最近とみに思うのです。

応答(respose)することには、責任(responsibility)が伴うという議論があります。
誰かに語りかけられたら、返さなくてはならない。
挨拶は当然のことながら、街中で外国人に道を聞かれたときでも、メールが届いたときでも、
出来るだけ早く、丁寧にすることが求められます。
それは社会生活を送る上での常識であり、出来なければ礼儀のなってない
失礼な、愛想のないヤツとして白眼視されます。

顧客から相談されたら、問題解決に奔走しなければならない。
友達から遊びに誘われたら、断るか承諾しなければならない。
プライベートで悩みの相談をされら、アドバイスしなくてはならない。
Facebooktwitterでコメントやリプライをもらったら、それにお返ししなければならない…

他人と関わる日常所作のあらゆる場面で、具体的な「お返し」を迫られます。
それは自然と義務になっているので、意識を上らせてみるとかなりの数になっているでしょう。
試しに、「今日、一体わたしは何度『お返し』したのか?」
と問うてみると、びっくりしてしまうかもしれません。
でもふつうはそんなお返し(responce)は、責任(responsibility)として意識されないかと思います。
けれども、 ひとのまえで方便からうそをついてしまった時、感情的にふるまってしまったとき、
あるいは、素っ気無い対応をしてしまったとき、


「なぜ、今日、わたしはあのひとの前で、あんなふうな『お返し』をしてしまったのか?」


と寝入る前に自問自答してしまうことはあるでしょう。

そんな時に、responsibility(責任)を裏切ってしまったことへの

blame(責め)に苦しめられます。

「あの時、ああいうように答えていれば…もっと早く、適切に言っていれば…」
と、別のことば、別のシナリオで贖罪の機会を得ることばかり考えてしまうのです。

災いの元である口を鎮火するのではなく、さらに別の着火点を探すことに血眼になってしまう…
なにか、ことばを…、あのことばを打ち消すための、別のことばを…と。


ひとはふつうことばの不在をおそれる。 ことばが途切れたとき、そして、どちらからもその不在を埋めることばが
でてこないときの気まずい沈黙。そのとき、
なにかそれまでの関係がすべて作りものであったかのように、色褪せて来る。 他者の親密な感触というものが、あっけなく崩れる。 その不在の前で、じぶんの存在すらも、へちまのようにかすかすになっている… ひとはこういう空虚に耐えきれず、どうにかしてことばを紡ぎだそうとする。 だれかが話しているのかじぶんでもわからないようなことばが、
次から次へと虚空に向かって打ち放たれる。
が、そのことばは相手のうちに着地することなく、
かといってじぶんのもとへと戻ってくるわけでもなく、 ただ空しい軌跡を描くばかり…。 そしてことばではなく、その不在がしらじらとあらわになってくる。 唾が枯れたときにそれでも唾を吐き出そうとして、血痰を出してしまうかのように。
そしてじぶんは、一刻でもはやく、その場を逃れたがっている。 『「聴く」ことの力』

 

「黙っていること」は一体、どうやったらできるでしょうか。

ただじっと、相手の眼と動作をみつめながら黙っている、という経験。
ことばを出そうとしても、出てこない、でもそれで必要十分だという、豊饒な時間と空間。 耳を澄まさずとも、相手の息づかい、呼吸というものが聞こえてくる間合い…


この困難を僕が初めて考えるようになったのは、
前の学生時代、大学の授業で演劇のワークショップに参加した時です。
そのなかで、グループである既定の脚本を改作し、皆の前で小芝居を発表するという課題がありました。
既定の脚本というのは、乗り合い列車での一場面で、
ある一人が二人向かい合わせの席に座っていて、その向かいの空席に二人組が乗り合わせる、 という設定です。
注意すべきは、ここでは三人の間でどんな対話が紡ぎだされるか、が課題ではなく、
どんなドラマが展開されるか、が課題なのです。



(2人組)「ちょっと、ここの席空いてますよね?」

(向かいの先客)「ええ…(手元の雑誌に目を落としながら)」

(2人組A)「ありがとうございます、よかったね、丁度2人分空いてて」

(2人組B)「うん。 あ…」
(向かいの一人の顔を見て、何か思い当たる。が、言い出せない。
 先客は全く気づかず、相変わらず雑誌を気ままに読む一方)




さて、この後、がいわゆるドラマなわけですが、
そこからが芝居をつくる練習。

先客の顔を見つめて、何か思い出す…
もしかしたらBにとっての、昔の恋人か、初恋の人か。
それとも、非常な裏切りをしてしまった相手か、
あるいは、生き別れた兄弟の面影が忍ばれたりするかもしれません。
(その設定も学生側に任されています)

相手は気づいていない、しかしじぶんは気づいている…
その相手は、じぶんにとってはかなり特別な、気になる存在。
気安く話しかけられないが、話しかけたくてしょうがない…

けれども、また隣にいる連れ(友達?恋人?仕事仲間?それも設定は自由です)
との距離感も大切にしなければならない。
もしかしたら、展開次第で連れとの関係が壊れるかもしれない…

話しかけたとしても、向こうがよそよそしかったら?
気まずい沈黙が三人のあいだに流れたら?


僕はBの立場に立った身としては、
本当は黙っていたい、と思うのです。
相手を見つめて、想像し、彼や彼女とのまさかの邂逅に驚きながら、じわじわと喜んでいたい。
あるいは、相手がじぶんに気づかなかったら、
軽い世間話をして、昔を懐かしむくらいの余裕を見せれたらな、と。
窓の風景を見ながら、実は風景を見ていなくて、
そこに映った彼や彼女の顔をじっと見つめていたい。


ところが、ここで敢えて「演技」をしてしまうのが、僕の偽らざる日常であって、
見知ってる顔があるやいなや、がやがやと議論を始めたくなる、
そのうずうずに堪え切れない。
相手と視線がかち合うと、その眼光に堪えられない。
だからことばを持ち出す。
もし相手との会話が途切れてしまったら、
政治や経済や学問や芸術や、芸能三面記事の皮相な諸事を持ち出し、
ナンセンスなとりとめのない会話を続けるという痴態を晒すのです。

本当は、そのすんでのところで我慢しているのです。
けれども、沈黙という濃密な時空間に気圧されて、
自ら希釈したくなる誘惑に負けるのです。

丁度、あれでしょうか、じぶんとは合わないな、と思う異性に対して、
会話を続行するのが困難なのに、会話のなかで打開を図ろうとして、
ますます失敗してしまうような、あのとてつもなく気まずい感覚…


他にも、演劇のワークショップや
臨床コミュニケーションの授業でやったレッスンで、
沈黙すること、その恐怖を感じることはありました。

例えば、医師の立場で患者とその家族にがんの告知をするというもの。
もちろん飽くまでロールプレイですから、専門知識の議論は抜きにして、
ぶっつけでやってみる対人的な実験と捉えてよいでしょう。
何を言うか、どんな顔や、身振りで言うのか…
演技側は、仕事と割り切って淡々とできるひともいれば、
(身内に経験があるせいか)思わず、感極まってしまうひとも。
そして、告知の後の長い沈黙に耐え切れず、なんとかことばを紡ごうとするひと…

究極のシチュエーションでは、各々の人生観、腹の底が垣間見えます。
素人演技ですから、それだけ一層際立つわけです。
同時に、演劇の経験をしてみると、今まで全くの無自覚であった日常行為が反省されます。
なぜ、その所作をじぶんがやるのか、とじぶんに徹底的に問い、しかる後に
それをかっこに入れて、忘れたように動いてみる。
そのようにしてみないと、少なくとも僕はじぶんのなかで演技に迫真性が生まれる
気配もありません。

考えたようにして、考えないでやる…難しい。。

とまあ、素人の感想ですが、また機会があれば、
こういうワークショップや小芝居に参加してみたいと思います。

さて、話を黙ることに戻しましょう。


引用元である鷲田清一も引いてますが、
黙ることに耐え切れない仕方で生活していると、
寺山修司の警句が痛烈に響いてきます。

 


わたしたちがいま失いかけているのは 「話し合い」などではなくて「黙りあい」ではないのか。
かつて寺山修司はそう問うた。そして、週刊誌やテレビなどのメディアをとおして
大きなコミュニケーションが膨れあがればあがるほど「沈黙はしんでゆく」、
「黙っていられない」ひとたちが増えていく……として、次のように書いた。

 彼等はつぎつぎと話し相手を変えては、より深いコミュニケーションを求めて裏切られてゆく。 そして、沈黙も饒舌も失ってスピーキング・マシーンのように「話しかける」ことと「生きること」とを
混同しながら年老いてゆくのである。
(「東京零年」)

『「聴く」ことの力』


僕は一時期、喫茶店や酒場での二人っきり(主な間柄は親友、親子、恋人、上司部下など)
を観察していることに凝っていて、
沈黙や間の使い方の下手さ、上手さを勉強していました。
会話の内容とかには余り興味がなくて、
どのような、間を取って、顔や仕草を変えるのか、が観察の対象。

観察して分かったことことの一つに、(当たり前のことですが)
「黙りあい」は会話の緊張と緩和という面できわめて重要なファクター
を担っている、ということがあります。


相談事を持ちかけて喋り続けていた一方が黙り、
他方もそれを受けとめて、黙って考える。
しばし間があって、その後に、ぽつりぽつりと言葉が交わされ、
知らず知らず、問題が解決されたり。

あるいは、初デートらしく、
これまで妙によそよそしかったカップルが、
おしゃべりのためのおしゃべりを止め、
沈黙のうちに眼差しを交し合ううちに妙に気持ちを高ぶらせたり。

沈黙の後で、これまで相手には言えなかったこと、
照れて言えなかったこれまでの感謝の気持ち、
じぶんに隠しきれなかった罪の告白…
そのような不思議な瞬間が「黙りあい」の内に突如としてやってくるのです。
その静かな感動的な場面は、別に映画やテレビのなかの世界ににあるわけではありません。
注意して観察すれば、劇的な効果を生んでいることが見てとれます。


けれども、そのようなコミュニケーションを目の当たりにすることは希少です。
ほとんどの会話は、buzzであり、noiseであり、あっという間に過ぎ去っていくpastimeなのでしょう。

どのようにしたら、黙ることができるのか、
相手の言葉とじぶんのことばを咀嚼し、反芻し、次のことばとの間を持たせることがきるのか。
responseのためのresponse「お返し」の応酬に躍起になってあくせくしていると、
つい、相手が黙てしまうときに、イライラしてしまうことがあります。
メール返信がちょっと間延びしただけで、約束が反故にされたと考えてしまう。
あるいは、逆に「お返し」をしたかどうか、相手の機嫌を損ねてないかと、
気になって仕方がなくなる。
…僕自身そういう傾向は否めません。


「語りえぬことについては沈黙しなければならない」

という、有名な哲学者のことばがあります。
これは彼が考える論理空間の世界についてであって、
日常生活でニヒルを気取ることばでありません。
しかし、あえて日常の対話空間に即していうならば

「語りあえぬことについては、沈黙しなければならない(こともある)」

ということになるでしょうか。
もちろん、これはルールでも道徳命令でもありません。
あくまで(こともある)だけ。
こころの片隅にとどめて置くことばです。
けれども、これこそ相手への泥臭いながらも、どこまでも誠実な態度表明ではないか、と僕は考えます。
そして、寺山修司ではありませんが、
マスであれ当人同士であれ、今後コミュニケーションの貧困が叫ばれるなか、
沈黙という対話技法は、最後の防波堤たりうるのではないかと、ひそかに思うのです。


先ほど黙りあいの美点めいたものを書きましたが、
そんなのは、実際は取るに足らないほどのものです。
しかも黙ったからといって、何も解決していませんし、
それで状況が好転するわけではありません。

けれども、相手の前でときに答えず、ただ聴く耳を持ち、
そして沈黙する勇気を持つことを、貴重にしたいと思うのです。
弁が立ち、気が利くような「お返し」がじぶんには 他の人に比べて下手なら、いったいどうすればいいのか。


のどに出掛かったことばを抑えて、黙る、聴く、
そういうギリギリのラインで闘うこと。
論理ではなく、情念として踏みとどまること。
こういう覚悟を持って、でも、諦めも半ば同居させて、
ひととことばで遣り合っていく仕方を学ぶには…どのようにすれば…?
そうボンヤリと考えていたことを、今日は書きました。


僕の中には、
「ひとが黙ってて、ただひとの話を聴いている、
けれども、時間が流れるのではなく積み重なっていき、
ふたりの関係はどんどん濃くなっていく」
というような場面に対して、一種の憧憬のようなものがあります。
(昔のサントリーのウイスキーのCMが一番近いかも)


それは、多分小さいころに見聞きして感動した経験がモデルなのでしょう。
あまりよく覚えていないのですが、今は亡き祖父母とのやりとりが中心なのかもしれない。
今後も黙ること、あるいは待つことはじぶんのルーツを探る上でも、
探求の中心課題になりそうです。


最後に、どうしても残しておきたい引用を一つ。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、
あいての話を聞くことでした。
なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。
話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。 でもそれはまちがいです。
ほんとうに聞くことのできる人はめったにいないものです。
そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのない すばらしい才能をもっていたのです。 モモに話を聞いてもらっていると、 ばかなひとにもきゅうにまともな考えがうかんできます。 モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり、 質問したりした、というわけではないのです。 ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。 その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。 するとあいてには、 じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、 すうっとうかびあがってくるのです。 ミヒャエル・エンデ『モモ』